紂剖比干囚箕子為炮格
殷紂王は比干を裂き、箕子を囚(とら)え、火あぶりの刑をつくり、
刑殺無辜時臣下懔然莫必其命
罪の無いものを刑殺し、時に臣下は懔然(りんぜん)とおそれて、必ずその言明(命(めい)=明(めい)?)をするものはなかった。
然而周師至而令不行乎下不能用其民
然(しか)して周軍が至ると、令は下に行われず、その民を用いることはできなかった。
是豈令不嚴刑不陖哉其所以統之者非其道故也
ここに、どうして令が厳(おごそ)かではなく、刑がきびしくなかったであろうかな。その、これを統(す)べるを以ってするところの者がその道(みち)故(ゆえ)ではなかったからである。
古者之兵戈矛弓矢而已然而敵國不待試而詘
古(いにしえ)の戦いは、戈矛(かぼう)、弓矢にしてそれのみで、然(しか)して敵国は試(ため)すを待たずにして屈(くっ)した。
城郭不集溝池不掘固塞不樹
城郭は集まらず、溝池は掘(ほ)らず、固(かた)い塞(とりで)には木をうえず、
機變不張然而國晏然不畏外而固者
機変(その場その場に応じたはかりごと)は張(は)らず、然(しか)して国は晏然(あんぜん)とやすらかに外を畏(おそ)れずして固(かた)まったのは、
無他故焉明道而均分之時使而誠愛之
他(ほか)故(ゆえ)は無いのであり、道を明らかにしてこれを均分(きんぶん)し、時にこれを誠(まこと)に愛さしめれば、
則下應之如景響有不由命者
すなわち、下は影(かげ)が響応するがごとくこれに応じた。命に由(よ)らない者が有れば、
然後俟之以刑則民知罪矣
然(しか)る後、これを待って刑を以ってすれば、民は罪を知るのである。
故刑一人而天下服罪人不尤其上知罪之在己也
故(ゆえ)にたった一人を刑するのみで天下は服し、罪人はその上をとがめず、罪の己(おのれ)に在(あ)ることを知るのである。
殷紂王は比干を裂き、箕子を囚(とら)え、火あぶりの刑をつくり、
刑殺無辜時臣下懔然莫必其命
罪の無いものを刑殺し、時に臣下は懔然(りんぜん)とおそれて、必ずその言明(命(めい)=明(めい)?)をするものはなかった。
然而周師至而令不行乎下不能用其民
然(しか)して周軍が至ると、令は下に行われず、その民を用いることはできなかった。
是豈令不嚴刑不陖哉其所以統之者非其道故也
ここに、どうして令が厳(おごそ)かではなく、刑がきびしくなかったであろうかな。その、これを統(す)べるを以ってするところの者がその道(みち)故(ゆえ)ではなかったからである。
古者之兵戈矛弓矢而已然而敵國不待試而詘
古(いにしえ)の戦いは、戈矛(かぼう)、弓矢にしてそれのみで、然(しか)して敵国は試(ため)すを待たずにして屈(くっ)した。
城郭不集溝池不掘固塞不樹
城郭は集まらず、溝池は掘(ほ)らず、固(かた)い塞(とりで)には木をうえず、
機變不張然而國晏然不畏外而固者
機変(その場その場に応じたはかりごと)は張(は)らず、然(しか)して国は晏然(あんぜん)とやすらかに外を畏(おそ)れずして固(かた)まったのは、
無他故焉明道而均分之時使而誠愛之
他(ほか)故(ゆえ)は無いのであり、道を明らかにしてこれを均分(きんぶん)し、時にこれを誠(まこと)に愛さしめれば、
則下應之如景響有不由命者
すなわち、下は影(かげ)が響応するがごとくこれに応じた。命に由(よ)らない者が有れば、
然後俟之以刑則民知罪矣
然(しか)る後、これを待って刑を以ってすれば、民は罪を知るのである。
故刑一人而天下服罪人不尤其上知罪之在己也
故(ゆえ)にたった一人を刑するのみで天下は服し、罪人はその上をとがめず、罪の己(おのれ)に在(あ)ることを知るのである。