太史公曰至矣哉立隆以為極
太史公曰く、「この上ないかな、隆(高い 盛ん)を立てて極(きわ)みと為るを以って、
而天下莫之能益損也本末相順
しこうして、天下には損益(減らしたり増やしたりすること)をできる者はいないのである。本(もと)と末(すえ)が相(あい)順(じゅん)じ、
終始相應至文有以辨至察有以說
終わりと始めが相(あい)応(おう)じ、文に至って区別を以って有(ゆう)し、あきらかになるに至って説(と)くを以って有(ゆう)し、
天下從之者治不從者亂
天下のこれに従う者は治(おさ)まり、従わない者は乱(みだ)れる。
從之者安不從者危小人不能則也
これに従う者は安(やす)んじ、従わない者は危(あや)うくなる。取るに足らない人は則(そく)することができないのである。
禮之貌誠深矣堅白同異之察入焉而弱
礼の貌(かお)は誠(まこと)に深いのであり、堅白同異の明察(戦国時代、趙の公孫竜の唱えた論理)が入ったとしても溺(おぼ)れるだろう。
其貌誠大矣擅作典制褊陋之說入焉而望
その貌(かお)は誠(まこと)に大きく、思うままに典制を作って見識の狭(せま)い説(せつ)は入っても遠く望まれるであろう。
其貌誠高矣暴慢恣睢
その貌(かお)は誠(まこと)に高く、乱暴でいばり勝手きままに行動して、
輕俗以為高之屬入焉而隊
俗(ぞく)を軽(かろ)んじて高く為るを以ってしている属は、入れば墜(お)ちるだろう。
故繩誠陳則不可欺以曲直
故(ゆえ)に縄(なわ)が誠(まこと)に並べられれば、曲直(曲がっていることと真っ直ぐなこと)を以って欺(あざむ)くことはできない。
衡誠縣則不可欺以輕重
秤(はかり)が誠(まこと)に懸(か)けられれば、軽重(軽いことと重いこと)を以って欺(あざむ)くことはできない。
規矩誠錯則不可欺以方員
規矩(定規とコンパス)が誠(まこと)にまじわれば、四角、円を以って欺(あざむ)くことはできない。
君子審禮則不可欺以詐偽
君子が礼を審(つまび)らかにすれば、詐偽(いつわり)を以って欺(あざむ)くことはできない。
故繩者直之至也衡者平之至也
故(ゆえ)に縄(なわ)とは、真っ直ぐの極(きわ)みであり、秤(はかり)とは、平(たいら)かの極(きわ)みであり、
規矩者方員之至也禮者人道之極也
規矩(定規とコンパス)とは、四角、円の極(きわ)みであり、礼とは、人道の極(きわ)みである。
然而不法禮者不足禮,謂之無方之民
然(しか)して、礼に法(のっと)らない者は礼するに足らず、これを無方の民(たみ)と謂(い)う。
法禮足禮謂之有方之士
礼に法(のっと)って礼するに足るは、これを有方の士(し)と謂(い)う。
禮之中能思索謂之能慮
礼の中(なか)で、思索(しさく)することができれば、これを能慮と謂(い)う。
能慮勿易謂之能固
能慮して替(か)えなければ、これを能固と謂(い)う。
能慮能固加好之焉聖矣
能慮、能固であって、好を加えて、聖(ひじり)である。
天者高之極也地者下之極也
天とは、高いの極(きわ)みであり、地とは下の極(きわ)みである。
日月者明之極也
太陽、月とは、明るいの極(きわ)みであり、
無窮者廣大之極也
窮(きわま)りが無いのは、広大の極(きわ)みである。
聖人者道之極也
聖(ひじり)の人とは、道の極(きわ)みである。
以財物為用以貴賤為文
財物を以って用を為し、貴賎(きせん)を以って文を為し、
以多少為異以隆殺為要
多少を以って異を為し、隆殺(盛んにすることと簡略にすること)を以って必要を為す。
文貌繁情欲省禮之隆也
文の貌(かお)が多く、情欲が省(はぶ)かれれば、礼の隆(高い、盛ん)である。
文貌省情欲繁禮之殺也
文の貌(かお)が省(はぶ)かれて、情欲が多ければ、礼の殺(簡略)である。
文貌情欲相為內外表裏
文の貌(かお)と情欲が互いに内外(うちとそと)、表裏(おもてとうら)と為って、
并行而雜禮之中流也
並び行きて入り混じれば、礼の中(なか)の流れである。
君子上致其隆下盡其殺而中處其中
君子は上にはその隆(高い、盛ん)を致(いた)し、下にはその殺(簡略)を尽(つ)くし、しこうして、中(なか)にはその中(なか)を処(しょ)する。
步驟馳騁廣騖不外是以君子之性守宮庭也
步驟(歩くことと走ること)馳騁(馬を走らせること)して広く走りまわっても、外(はず)れず、ここに君子の性を以って宮庭を守るのである。
人域是域士君子也
人の域(いき)のこの域(いき)は、士(し)、君子くんし)である。
外是民也
外(そと)は、これ、民(たみ)である。
於是中焉房皇周浹
ここに於いて中(なか)は、彷徨(ほうこう 房皇=彷徨?)してあまねくめぐり、
曲[直]得其次序聖人也
曲がったものはその順次を得て、聖人(聖(ひじり)の人)である。
故厚者禮之積也
故(ゆえ)に厚(あつ)いとは、礼の積(つ)むことであり、
大者禮之廣也
大とは、礼の広いことであり、
高者禮之隆也
高とは、礼の隆(高い、盛ん)であり、
明者禮之盡也
明とは、礼の尽(ことごと)くである」と。
今日で史記 礼書は終わりです。明日からは史記 楽書に入ります。
太史公曰く、「この上ないかな、隆(高い 盛ん)を立てて極(きわ)みと為るを以って、
而天下莫之能益損也本末相順
しこうして、天下には損益(減らしたり増やしたりすること)をできる者はいないのである。本(もと)と末(すえ)が相(あい)順(じゅん)じ、
終始相應至文有以辨至察有以說
終わりと始めが相(あい)応(おう)じ、文に至って区別を以って有(ゆう)し、あきらかになるに至って説(と)くを以って有(ゆう)し、
天下從之者治不從者亂
天下のこれに従う者は治(おさ)まり、従わない者は乱(みだ)れる。
從之者安不從者危小人不能則也
これに従う者は安(やす)んじ、従わない者は危(あや)うくなる。取るに足らない人は則(そく)することができないのである。
禮之貌誠深矣堅白同異之察入焉而弱
礼の貌(かお)は誠(まこと)に深いのであり、堅白同異の明察(戦国時代、趙の公孫竜の唱えた論理)が入ったとしても溺(おぼ)れるだろう。
其貌誠大矣擅作典制褊陋之說入焉而望
その貌(かお)は誠(まこと)に大きく、思うままに典制を作って見識の狭(せま)い説(せつ)は入っても遠く望まれるであろう。
其貌誠高矣暴慢恣睢
その貌(かお)は誠(まこと)に高く、乱暴でいばり勝手きままに行動して、
輕俗以為高之屬入焉而隊
俗(ぞく)を軽(かろ)んじて高く為るを以ってしている属は、入れば墜(お)ちるだろう。
故繩誠陳則不可欺以曲直
故(ゆえ)に縄(なわ)が誠(まこと)に並べられれば、曲直(曲がっていることと真っ直ぐなこと)を以って欺(あざむ)くことはできない。
衡誠縣則不可欺以輕重
秤(はかり)が誠(まこと)に懸(か)けられれば、軽重(軽いことと重いこと)を以って欺(あざむ)くことはできない。
規矩誠錯則不可欺以方員
規矩(定規とコンパス)が誠(まこと)にまじわれば、四角、円を以って欺(あざむ)くことはできない。
君子審禮則不可欺以詐偽
君子が礼を審(つまび)らかにすれば、詐偽(いつわり)を以って欺(あざむ)くことはできない。
故繩者直之至也衡者平之至也
故(ゆえ)に縄(なわ)とは、真っ直ぐの極(きわ)みであり、秤(はかり)とは、平(たいら)かの極(きわ)みであり、
規矩者方員之至也禮者人道之極也
規矩(定規とコンパス)とは、四角、円の極(きわ)みであり、礼とは、人道の極(きわ)みである。
然而不法禮者不足禮,謂之無方之民
然(しか)して、礼に法(のっと)らない者は礼するに足らず、これを無方の民(たみ)と謂(い)う。
法禮足禮謂之有方之士
礼に法(のっと)って礼するに足るは、これを有方の士(し)と謂(い)う。
禮之中能思索謂之能慮
礼の中(なか)で、思索(しさく)することができれば、これを能慮と謂(い)う。
能慮勿易謂之能固
能慮して替(か)えなければ、これを能固と謂(い)う。
能慮能固加好之焉聖矣
能慮、能固であって、好を加えて、聖(ひじり)である。
天者高之極也地者下之極也
天とは、高いの極(きわ)みであり、地とは下の極(きわ)みである。
日月者明之極也
太陽、月とは、明るいの極(きわ)みであり、
無窮者廣大之極也
窮(きわま)りが無いのは、広大の極(きわ)みである。
聖人者道之極也
聖(ひじり)の人とは、道の極(きわ)みである。
以財物為用以貴賤為文
財物を以って用を為し、貴賎(きせん)を以って文を為し、
以多少為異以隆殺為要
多少を以って異を為し、隆殺(盛んにすることと簡略にすること)を以って必要を為す。
文貌繁情欲省禮之隆也
文の貌(かお)が多く、情欲が省(はぶ)かれれば、礼の隆(高い、盛ん)である。
文貌省情欲繁禮之殺也
文の貌(かお)が省(はぶ)かれて、情欲が多ければ、礼の殺(簡略)である。
文貌情欲相為內外表裏
文の貌(かお)と情欲が互いに内外(うちとそと)、表裏(おもてとうら)と為って、
并行而雜禮之中流也
並び行きて入り混じれば、礼の中(なか)の流れである。
君子上致其隆下盡其殺而中處其中
君子は上にはその隆(高い、盛ん)を致(いた)し、下にはその殺(簡略)を尽(つ)くし、しこうして、中(なか)にはその中(なか)を処(しょ)する。
步驟馳騁廣騖不外是以君子之性守宮庭也
步驟(歩くことと走ること)馳騁(馬を走らせること)して広く走りまわっても、外(はず)れず、ここに君子の性を以って宮庭を守るのである。
人域是域士君子也
人の域(いき)のこの域(いき)は、士(し)、君子くんし)である。
外是民也
外(そと)は、これ、民(たみ)である。
於是中焉房皇周浹
ここに於いて中(なか)は、彷徨(ほうこう 房皇=彷徨?)してあまねくめぐり、
曲[直]得其次序聖人也
曲がったものはその順次を得て、聖人(聖(ひじり)の人)である。
故厚者禮之積也
故(ゆえ)に厚(あつ)いとは、礼の積(つ)むことであり、
大者禮之廣也
大とは、礼の広いことであり、
高者禮之隆也
高とは、礼の隆(高い、盛ん)であり、
明者禮之盡也
明とは、礼の尽(ことごと)くである」と。
今日で史記 礼書は終わりです。明日からは史記 楽書に入ります。