治道虧缺而鄭音興起封君世辟
治道(ちどう)が虧缺(きけつ 欠けること)して、鄭の音楽(淫らな音楽)が盛んに起こり、(鄭の)封君は代々ならい、
名顯鄰州爭以相高
名は隣州に顕(あきら)かになり、争って相(あい)高めるを以ってした。
自仲尼不能與齊優遂容於魯
仲尼(孔子)が斉の芸人に与(あず)かることがきず遂(つい)に魯に於いて容(い)れられてより、
雖退正樂以誘世作五章以剌時猶莫之化
(淫らな音楽が)正楽を退けて世を誘(いざな)うを以ってすると雖(いえど)も、(孔子は)五章を作って時にもとるを以ってしたが、猶(なお)これに教化されるものはいなかった。
陵遲以至六國流沔沈佚
陵遲(りょうち)とだんだんおとろえて、六国時代に至るを以って、流れ、溺れ、沈み、失い、
遂往不返,卒於喪身滅宗,并國於秦。
遂(つい)に往きて返らず、とうとう身をほろぼして宗廟を滅ぼし、国を秦に併(あわ)せた。
秦二世尤以為娛丞相李斯進諫曰
秦二世皇帝嬴胡亥は最も(音楽を)娯楽と為すを以ってした。秦丞相李斯は進み出て諌(いさ)めて曰く、
放棄詩書極意聲色祖伊所以懼也
詩書を放棄(ほうき)して、音楽の色気に意を極(きわ)めるは、祖伊(殷紂王の臣下)が懼(おそ)れるを以ってするところであります。
輕積細過恣心長夜紂所以亡也
細かな過(あやま)ちを積(つ)んで軽んじ、わがままで長夜の宴をしたのは、殷紂王が亡(ほろ)びるを以ってしたところであります」と。
趙高曰五帝三王樂各殊名示不相襲
趙高曰く、「五帝、三王の音楽は各(おのおの)名を殊(こと)にし、相(あい)踏襲(とうしゅう)しないことを示しました。
上自朝廷下至人民得以接歡喜合殷勤
上は朝廷より、下は人民に至るまで、接するを以って歓喜を得て、男女の情交を合わせ、
非此和說不通解澤不流亦各一世之化
この和した喜びで非(あら)ざれば通じず、解けた沢でなければ流れません。また、各(おのおの)は一世の文化で、
度時之樂何必華山之騄耳而後行遠乎二世然之
時の音楽をはかりました。どうして華山の騄耳(名馬の名)にして(二世皇帝を名馬にたとえた)後(おく)れて遠くへ行く必要がありましょうか(思う通りにして良いのです)」と。
秦二世皇帝嬴胡亥はこれをその通りだと思った。
治道(ちどう)が虧缺(きけつ 欠けること)して、鄭の音楽(淫らな音楽)が盛んに起こり、(鄭の)封君は代々ならい、
名顯鄰州爭以相高
名は隣州に顕(あきら)かになり、争って相(あい)高めるを以ってした。
自仲尼不能與齊優遂容於魯
仲尼(孔子)が斉の芸人に与(あず)かることがきず遂(つい)に魯に於いて容(い)れられてより、
雖退正樂以誘世作五章以剌時猶莫之化
(淫らな音楽が)正楽を退けて世を誘(いざな)うを以ってすると雖(いえど)も、(孔子は)五章を作って時にもとるを以ってしたが、猶(なお)これに教化されるものはいなかった。
陵遲以至六國流沔沈佚
陵遲(りょうち)とだんだんおとろえて、六国時代に至るを以って、流れ、溺れ、沈み、失い、
遂往不返,卒於喪身滅宗,并國於秦。
遂(つい)に往きて返らず、とうとう身をほろぼして宗廟を滅ぼし、国を秦に併(あわ)せた。
秦二世尤以為娛丞相李斯進諫曰
秦二世皇帝嬴胡亥は最も(音楽を)娯楽と為すを以ってした。秦丞相李斯は進み出て諌(いさ)めて曰く、
放棄詩書極意聲色祖伊所以懼也
詩書を放棄(ほうき)して、音楽の色気に意を極(きわ)めるは、祖伊(殷紂王の臣下)が懼(おそ)れるを以ってするところであります。
輕積細過恣心長夜紂所以亡也
細かな過(あやま)ちを積(つ)んで軽んじ、わがままで長夜の宴をしたのは、殷紂王が亡(ほろ)びるを以ってしたところであります」と。
趙高曰五帝三王樂各殊名示不相襲
趙高曰く、「五帝、三王の音楽は各(おのおの)名を殊(こと)にし、相(あい)踏襲(とうしゅう)しないことを示しました。
上自朝廷下至人民得以接歡喜合殷勤
上は朝廷より、下は人民に至るまで、接するを以って歓喜を得て、男女の情交を合わせ、
非此和說不通解澤不流亦各一世之化
この和した喜びで非(あら)ざれば通じず、解けた沢でなければ流れません。また、各(おのおの)は一世の文化で、
度時之樂何必華山之騄耳而後行遠乎二世然之
時の音楽をはかりました。どうして華山の騄耳(名馬の名)にして(二世皇帝を名馬にたとえた)後(おく)れて遠くへ行く必要がありましょうか(思う通りにして良いのです)」と。
秦二世皇帝嬴胡亥はこれをその通りだと思った。