者性之端也樂者之華也
徳とは、性の端正(たんせい)であり、音楽とは徳の華(はな)である。
金石絲竹樂之器也詩言其志也
金属、石、糸、竹は音楽の器(うつわ)である。詩はその志(こころざし)を言い、
歌詠其聲也舞動其容也
歌はその声(響き)を詠(よ)み、舞いはその容(かたち)を動かすのである。
三者本乎心然後樂氣從之
三者(詩、歌、舞)は本(もと)にするは心で、然(しか)る後に音楽の気がこれに従(したが)う。
是故情深而文明氣盛而化神
この故(ゆえ)に情は深くして文(あや)は明るく、気が盛んにして神に化(か)し、
和順積中而英華發外唯樂不可以為偽
和順(わじゅん)は中(なか)に積(つ)まれて美しい華(はな)は外(そと)に発され、ただ音楽だけは偽(いつわ)りを為すを以ってすることはできない。
樂者心之動也聲者樂之象也
音楽とは心の動きである。声(ひびき)とは、音楽の象(かたど)りである。
文采節奏聲之飾也
文(あや)彩(いろど)り、節奏(リズム)は声(響き)の飾(かざ)りである。
君子動其本樂其象然後治其飾
君子はその本(もと)を動かして、その象(かたど)りを楽しみ、然(しか)る後にその飾(かざ)りを治(おさ)める。
是故先鼓以警戒三步以見方
この故(ゆえ)は先んじて鼓(つづみ)をならして警戒(けいかい)するを以ってし、三歩進んで方(四角 かたどりの意?)をあらわし、
再始以著往復亂以飭歸奮疾而不拔
ふたたび始めて昔を著(あらわ)すを以ってし、ふたたび乱れて帰(き)するをととのえるを以ってし、はげしく奮(ふる)って抜(ぬ)かず、
(也)極幽而不隱獨樂其志不厭其道
奥深さを極(きわ)めて隠(かく)れない。ただその志(こころざし)を楽しみ、その道を厭(いと)わず、
備舉其道不私其欲
その道を挙(あ)げてつぶさにし、その欲(よく)を私(し)さない。
是以情見而義立樂終而尊
ここに情があらわれるを以ってして義(ぎ)が立ち、音楽は終いにして徳が尊ばれる。
君子以好善小人以息過
君子は善(ぜん)を好むを以ってし、とるにたらない者は過(あやま)ちをふやすを以ってする。
故曰生民之道樂為大焉
故(ゆえ)に曰く、民の道を生(う)むは音楽が大と為す」と。
君子曰禮樂不可以斯須去身
君子曰く、「礼、楽はしばらくのあいだを以って身から去らせるべきではない」と。
致樂以治心則易直子諒之心油然生矣
音楽を致(いた)すは心を治めるを以ってすれば、易直(人柄が親しみやすく気性が素直なこと)、子諒(諒は誠実の意)の心が油然(ゆうぜん)とむくむくと生ずる。
易直子諒之心生則樂樂則安
易直(人柄が親しみやすく気性が素直なこと)、子諒(諒は誠実の意)の心が生じれば楽しみ、楽しめは安んじ、
安則久久則天天則神
安んずれば久しくなり、久しければ天で、天であれば神である。
天則不言而信神則不怒而威
天すれば言わなくとも信じられ、神すれば怒らなくとも威厳がある。
致樂以治心者也致禮以治躬者也
音楽を致(いた)すは心を治めるを以ってするものである。礼を致(いた)すは身(み)を治めるを以ってするものである。
治躬則莊敬莊敬則嚴威
身(み)を治めれば莊敬(そうけい おもおもしく慎み深いこと)になり、莊敬(そうけい おもおもしく慎み深いこと)になれば、威(い)を厳(おごそ)かにする。
心中斯須不和不樂而鄙詐之心入之矣
心の中がしばらくのあいだ和(わ)さず楽しまないと、いやしいあざむきの心がこれに入り、
外貌斯須不莊不敬而慢易之心入之矣
外貌(がいぼう)がしばらくのあいだ重々しくなく、慎み深くなくなれば、慢易(まんい あなどる ばかにする)の心がこれに入るのである。
故樂也者動於內者也
故(ゆえ)に音楽なりとは、内(うち)に動かすものであり、
禮也者動於外者也
礼なりとは、外(そと)に動かすものなのである。
樂極和禮極順內和而外順
音楽は和(わ)を極(きわ)め、礼は順(じゅん)を極(きわ)める。内に和(わ)して、外(そと)に順(じゅん)ずれば、
則民瞻其顏色而弗與爭也望其容貌而民不生易慢焉
すなわち、民はその顔色を見てともに争わないのであり、その容貌を望(のぞ)みみて、民は易慢(あなどる ばかにする)を生じないのである。
動乎內而民莫不承聽理發乎外而民莫不承順,
徳は光輝いて動くや内(うち)にして、民は聴(き)くを承(うけたまわ)らないものはなく、理は発せられるや外(そと)にして、民は順を承(うけたまわ)らないものはない。
故曰知禮樂之道舉而錯之天下無難矣
故(ゆえ)に曰く、「礼楽の道を知れば、挙(あ)げてみがかれて天下はわざわいが無くなるのである」と。
徳とは、性の端正(たんせい)であり、音楽とは徳の華(はな)である。
金石絲竹樂之器也詩言其志也
金属、石、糸、竹は音楽の器(うつわ)である。詩はその志(こころざし)を言い、
歌詠其聲也舞動其容也
歌はその声(響き)を詠(よ)み、舞いはその容(かたち)を動かすのである。
三者本乎心然後樂氣從之
三者(詩、歌、舞)は本(もと)にするは心で、然(しか)る後に音楽の気がこれに従(したが)う。
是故情深而文明氣盛而化神
この故(ゆえ)に情は深くして文(あや)は明るく、気が盛んにして神に化(か)し、
和順積中而英華發外唯樂不可以為偽
和順(わじゅん)は中(なか)に積(つ)まれて美しい華(はな)は外(そと)に発され、ただ音楽だけは偽(いつわ)りを為すを以ってすることはできない。
樂者心之動也聲者樂之象也
音楽とは心の動きである。声(ひびき)とは、音楽の象(かたど)りである。
文采節奏聲之飾也
文(あや)彩(いろど)り、節奏(リズム)は声(響き)の飾(かざ)りである。
君子動其本樂其象然後治其飾
君子はその本(もと)を動かして、その象(かたど)りを楽しみ、然(しか)る後にその飾(かざ)りを治(おさ)める。
是故先鼓以警戒三步以見方
この故(ゆえ)は先んじて鼓(つづみ)をならして警戒(けいかい)するを以ってし、三歩進んで方(四角 かたどりの意?)をあらわし、
再始以著往復亂以飭歸奮疾而不拔
ふたたび始めて昔を著(あらわ)すを以ってし、ふたたび乱れて帰(き)するをととのえるを以ってし、はげしく奮(ふる)って抜(ぬ)かず、
(也)極幽而不隱獨樂其志不厭其道
奥深さを極(きわ)めて隠(かく)れない。ただその志(こころざし)を楽しみ、その道を厭(いと)わず、
備舉其道不私其欲
その道を挙(あ)げてつぶさにし、その欲(よく)を私(し)さない。
是以情見而義立樂終而尊
ここに情があらわれるを以ってして義(ぎ)が立ち、音楽は終いにして徳が尊ばれる。
君子以好善小人以息過
君子は善(ぜん)を好むを以ってし、とるにたらない者は過(あやま)ちをふやすを以ってする。
故曰生民之道樂為大焉
故(ゆえ)に曰く、民の道を生(う)むは音楽が大と為す」と。
君子曰禮樂不可以斯須去身
君子曰く、「礼、楽はしばらくのあいだを以って身から去らせるべきではない」と。
致樂以治心則易直子諒之心油然生矣
音楽を致(いた)すは心を治めるを以ってすれば、易直(人柄が親しみやすく気性が素直なこと)、子諒(諒は誠実の意)の心が油然(ゆうぜん)とむくむくと生ずる。
易直子諒之心生則樂樂則安
易直(人柄が親しみやすく気性が素直なこと)、子諒(諒は誠実の意)の心が生じれば楽しみ、楽しめは安んじ、
安則久久則天天則神
安んずれば久しくなり、久しければ天で、天であれば神である。
天則不言而信神則不怒而威
天すれば言わなくとも信じられ、神すれば怒らなくとも威厳がある。
致樂以治心者也致禮以治躬者也
音楽を致(いた)すは心を治めるを以ってするものである。礼を致(いた)すは身(み)を治めるを以ってするものである。
治躬則莊敬莊敬則嚴威
身(み)を治めれば莊敬(そうけい おもおもしく慎み深いこと)になり、莊敬(そうけい おもおもしく慎み深いこと)になれば、威(い)を厳(おごそ)かにする。
心中斯須不和不樂而鄙詐之心入之矣
心の中がしばらくのあいだ和(わ)さず楽しまないと、いやしいあざむきの心がこれに入り、
外貌斯須不莊不敬而慢易之心入之矣
外貌(がいぼう)がしばらくのあいだ重々しくなく、慎み深くなくなれば、慢易(まんい あなどる ばかにする)の心がこれに入るのである。
故樂也者動於內者也
故(ゆえ)に音楽なりとは、内(うち)に動かすものであり、
禮也者動於外者也
礼なりとは、外(そと)に動かすものなのである。
樂極和禮極順內和而外順
音楽は和(わ)を極(きわ)め、礼は順(じゅん)を極(きわ)める。内に和(わ)して、外(そと)に順(じゅん)ずれば、
則民瞻其顏色而弗與爭也望其容貌而民不生易慢焉
すなわち、民はその顔色を見てともに争わないのであり、その容貌を望(のぞ)みみて、民は易慢(あなどる ばかにする)を生じないのである。
動乎內而民莫不承聽理發乎外而民莫不承順,
徳は光輝いて動くや内(うち)にして、民は聴(き)くを承(うけたまわ)らないものはなく、理は発せられるや外(そと)にして、民は順を承(うけたまわ)らないものはない。
故曰知禮樂之道舉而錯之天下無難矣
故(ゆえ)に曰く、「礼楽の道を知れば、挙(あ)げてみがかれて天下はわざわいが無くなるのである」と。