足下與項王有故何不反漢與楚連和參分天下王之
足下(斉王韓信)は項王(項羽)と故(ゆえ)が有り、どうして漢に叛(そむ)いて楚と連和(れんわ)して、天下を三分して王とならないのか?
今釋此時而自必於漢以擊楚且為智者固若此乎
今、この時をすてれば、しこうして自(おのず)から漢に於いて楚を撃(う)つを以ってするのは必至だ。まさに智者は固(もと)よりこの如(ごと)くを為すだろうか」と。
韓信謝曰臣事項王官不過郎中
斉王韓信は謝(しゃ)して曰く、「わたしは項王(項羽)に仕え、官位は郎中を越えませんでした。
位不過執戟言不聽畫不用故倍楚而歸漢
地位は戟(ほこの一種)を執(と)るに過ぎず、言(げん)は聴き入れられず、画策(かくさく)は用いられず、故(ゆえ)に楚にそむいて漢に帰属したのです。
漢王授我上將軍印予我數萬眾解衣衣我
漢王劉邦はわれに上将軍印を授(さず)け、我(われ)に数万人の衆を与(あた)え、衣(ころも)を解(と)いて我(われ)に着せ、
推食食我言聽計用故吾得以至於此
食事をすすめて我(われ)に食べさせ、言(げん)は聴き入れられ、計画は用いられ、故(ゆえ)に吾(われ)はここに至るを以ってするを得(え)たのです。
夫人深親信我我倍之不祥雖死不易幸為信謝項王
それ、人が我(われ)を深く親しみ信ずれば、我(われ)がこれにそむくは不祥(ふしょう)で、死ぬと雖(いえど)もかえられません。わたしの為(ため)に項王(項羽)に謝(しゃ)していただければ幸(さいわ)いです」と。
足下(斉王韓信)は項王(項羽)と故(ゆえ)が有り、どうして漢に叛(そむ)いて楚と連和(れんわ)して、天下を三分して王とならないのか?
今釋此時而自必於漢以擊楚且為智者固若此乎
今、この時をすてれば、しこうして自(おのず)から漢に於いて楚を撃(う)つを以ってするのは必至だ。まさに智者は固(もと)よりこの如(ごと)くを為すだろうか」と。
韓信謝曰臣事項王官不過郎中
斉王韓信は謝(しゃ)して曰く、「わたしは項王(項羽)に仕え、官位は郎中を越えませんでした。
位不過執戟言不聽畫不用故倍楚而歸漢
地位は戟(ほこの一種)を執(と)るに過ぎず、言(げん)は聴き入れられず、画策(かくさく)は用いられず、故(ゆえ)に楚にそむいて漢に帰属したのです。
漢王授我上將軍印予我數萬眾解衣衣我
漢王劉邦はわれに上将軍印を授(さず)け、我(われ)に数万人の衆を与(あた)え、衣(ころも)を解(と)いて我(われ)に着せ、
推食食我言聽計用故吾得以至於此
食事をすすめて我(われ)に食べさせ、言(げん)は聴き入れられ、計画は用いられ、故(ゆえ)に吾(われ)はここに至るを以ってするを得(え)たのです。
夫人深親信我我倍之不祥雖死不易幸為信謝項王
それ、人が我(われ)を深く親しみ信ずれば、我(われ)がこれにそむくは不祥(ふしょう)で、死ぬと雖(いえど)もかえられません。わたしの為(ため)に項王(項羽)に謝(しゃ)していただければ幸(さいわ)いです」と。