少暤氏之衰也九黎亂民神雜擾
少暤氏(しょうこうし 黄帝の長男 玄囂(青陽))が衰(おとろ)えて、九黎(官名)が徳を乱(みだ)し、民、神が雜擾(ざつじょう)といりみだれ、
不可放物禍菑薦至莫盡其氣
物に倣(ほう まねる)することができず、禍菑(かさい わざわい)は薦(せん しばしば)至り、その気を尽(ことごと)くして莫(ばく なにもない)した。
顓頊受之乃命南正重司天以屬神
帝顓頊(せんぎょく 黄帝の孫 高陽氏)はこれを受けて、すなわち、南正の重に命じて天を司(つかさど)らせ神を属(ぞく)させるを以ってし、
命火正黎司地以屬民使復舊常無相侵瀆
火正(北正)の黎に命じて地(ち)を司(つかさど)らせ、民を属(ぞく)させるを以ってし、旧常(きゅうじょう むかしの常態)に復(ふく)させて、相(あい)侵(おか)し瀆(とく けがす)しあうことが無くなった。
其後三苗服九黎之故二官咸廢所職
その後、三苗が九黎(官名)の徳に服(ふく)し、故(ゆえ)に二官(南生、火正(北正))は咸(あまねく)、職するところを廃(はい)された。
而閏餘乖次孟陬殄滅攝提無紀歷數失序
しこうして、閏(うるう)の余りは順次を乖(かい たがう)し、孟陬(もうすう 陰暦で正月の異名)は殄滅(てんめつ ほろびたえる)し、摂提(せってい 北斗星の柄のほうにある三星の名)は紀(き 記す)が無くなり、歴数は序(じょ 順序)を失(うしな)った。
堯復遂重黎之後不忘舊者
帝堯(帝嚳の子 黄帝の曾孫)が南正重、火正黎の後(子孫)をふたたび遂(すい 登用する)し、旧(きゅう 古い)ものを忘れず、
使復典之而立羲和之官
ふたたびこれを典(てん 手本)にして、羲、和の官を立てた。
明時正度則陰陽調風雨節
時(とき)の正度(せいど)を明らかすれば、陰陽が調(ととの)い、風雨が節(せつ 度をすごさぬこと)し、
茂氣至民無夭疫年耆禪舜
茂(しげ)る気が至り、民は夭疫(ようえき 疫病で早死にする)することが無くなった。年耆(年寄り 耆は六十歳)は帝舜(黄帝の子孫 帝顓頊の七代目)を禅(ぜん 天子の位をゆずる)し、
申戒文祖云天之歷數在爾躬
戒(いまし)めを文祖(帝堯の太祖の廟)で申し、云(い)う、「天の歴数は爾(に なんじ)躬(きゅう 自身)に在(あ)る」と。
舜亦以命禹由是觀之王者所重也
帝舜もまた 禹(夏王朝の始祖 黄帝の玄孫 帝顓頊の孫)に命ずるを以ってした。これに由(よ)りこれを観(み)るに、王とは重んずるところなのである。
少暤氏(しょうこうし 黄帝の長男 玄囂(青陽))が衰(おとろ)えて、九黎(官名)が徳を乱(みだ)し、民、神が雜擾(ざつじょう)といりみだれ、
不可放物禍菑薦至莫盡其氣
物に倣(ほう まねる)することができず、禍菑(かさい わざわい)は薦(せん しばしば)至り、その気を尽(ことごと)くして莫(ばく なにもない)した。
顓頊受之乃命南正重司天以屬神
帝顓頊(せんぎょく 黄帝の孫 高陽氏)はこれを受けて、すなわち、南正の重に命じて天を司(つかさど)らせ神を属(ぞく)させるを以ってし、
命火正黎司地以屬民使復舊常無相侵瀆
火正(北正)の黎に命じて地(ち)を司(つかさど)らせ、民を属(ぞく)させるを以ってし、旧常(きゅうじょう むかしの常態)に復(ふく)させて、相(あい)侵(おか)し瀆(とく けがす)しあうことが無くなった。
其後三苗服九黎之故二官咸廢所職
その後、三苗が九黎(官名)の徳に服(ふく)し、故(ゆえ)に二官(南生、火正(北正))は咸(あまねく)、職するところを廃(はい)された。
而閏餘乖次孟陬殄滅攝提無紀歷數失序
しこうして、閏(うるう)の余りは順次を乖(かい たがう)し、孟陬(もうすう 陰暦で正月の異名)は殄滅(てんめつ ほろびたえる)し、摂提(せってい 北斗星の柄のほうにある三星の名)は紀(き 記す)が無くなり、歴数は序(じょ 順序)を失(うしな)った。
堯復遂重黎之後不忘舊者
帝堯(帝嚳の子 黄帝の曾孫)が南正重、火正黎の後(子孫)をふたたび遂(すい 登用する)し、旧(きゅう 古い)ものを忘れず、
使復典之而立羲和之官
ふたたびこれを典(てん 手本)にして、羲、和の官を立てた。
明時正度則陰陽調風雨節
時(とき)の正度(せいど)を明らかすれば、陰陽が調(ととの)い、風雨が節(せつ 度をすごさぬこと)し、
茂氣至民無夭疫年耆禪舜
茂(しげ)る気が至り、民は夭疫(ようえき 疫病で早死にする)することが無くなった。年耆(年寄り 耆は六十歳)は帝舜(黄帝の子孫 帝顓頊の七代目)を禅(ぜん 天子の位をゆずる)し、
申戒文祖云天之歷數在爾躬
戒(いまし)めを文祖(帝堯の太祖の廟)で申し、云(い)う、「天の歴数は爾(に なんじ)躬(きゅう 自身)に在(あ)る」と。
舜亦以命禹由是觀之王者所重也
帝舜もまた 禹(夏王朝の始祖 黄帝の玄孫 帝顓頊の孫)に命ずるを以ってした。これに由(よ)りこれを観(み)るに、王とは重んずるところなのである。