夏正以正月殷正以十二月周正以十一月
夏の正(年のはじめ)は正月を以ってし、殷の正(年のはじめ)は十二月を以ってし、周の正(年のはじめ)は十一月を以ってした。
蓋三王之正若循環窮則反本
思うに三王朝の正(年のはじめ)は循環するがごとく、窮(きわ)まれば本(もと)に返(かえ)るだろう。
天下有道則不失紀序
天下に道が有れば、紀序(きじょ 順序を記す)を失わず、
無道則正朔不行於諸侯
道が無くなれば、正朔(こよみ)は諸侯に於いて行われない。
幽之後周室微陪臣執政史不記時
周幽王姫宮涅、周王姫胡の後に、周室は微(び おとろえる)になり、陪臣(ばいしん 家臣の家臣)が政治を執(と)り、史(史官)は時を記さず、
君不告朔故疇人子弟分散或在諸夏
君は朔(月のはじめ)を告げず、故(ゆえ)に,疇人(ちゅうじん 天文、暦算にすぐれた人)の子弟(してい)は分散して、或(あ)るものは諸(もろもろ)の夏(か ちゅうごく)に在(あ)り、
或在夷狄是以其禨祥廢而不統
或(あ)るものは夷狄(いてき 異民族)に在(あ)り、ここにその禨祥(きしょう たたりとさいわい)を以って廃(はい)されて統(す)べらなかった。
周襄王二十六年閏三月而春秋非之
周襄王姫鄭二十六年閏三月にして春秋経はこれを非(ひ あやまり)とした。
先王之正時也履端於始舉正於中歸邪於終
先王の時を正すは、始めに履端(りたん 端(たん いとぐち)を履(り 踏む))し、途中で正を挙(あ)げ、終わりに邪(じゃ 不正)に帰(き)する。
履端於始序則不愆
始めに履端(りたん 端(たん いとぐち)を履(り 踏む))すれば、序(じょ 順序だてる)は愆(けん まちがう)さず、
舉正於中民則不惑
途中で正を挙(あ)げれば、民はすなわち惑(まど)わず、
歸邪於終事則不悖
終わりに邪(じゃ 不正)に帰(き)すれば、事(こと)はすなわち勃(悖(ぼつ)=勃(ぼつ)? 興(おこ)る)らない。
其後戰國并爭在於彊國禽敵
その後、戦う国が並び争い、強国に在(あ)って、敵を擒(とりこ)にし、
救急解紛而已豈遑念斯哉
急(きゅう)を救(すく)い、紛乱(ふんらん)を解(と)いてそれのみ。どうしてこれを念(ねん 考える)ずる遑(こう いとま)があろうかな。
是時獨有鄒衍明於五之傳
この時、独(ひと)り鄒衍(人名 騶衍)がおり、五徳(五行)の伝を明らかにし、
而散消息之分以顯諸侯
消息(消えることと生じること)の分(ぶん)を散(さん 分ける くばる)して、諸侯に顕(あきらか)になった。
夏の正(年のはじめ)は正月を以ってし、殷の正(年のはじめ)は十二月を以ってし、周の正(年のはじめ)は十一月を以ってした。
蓋三王之正若循環窮則反本
思うに三王朝の正(年のはじめ)は循環するがごとく、窮(きわ)まれば本(もと)に返(かえ)るだろう。
天下有道則不失紀序
天下に道が有れば、紀序(きじょ 順序を記す)を失わず、
無道則正朔不行於諸侯
道が無くなれば、正朔(こよみ)は諸侯に於いて行われない。
幽之後周室微陪臣執政史不記時
周幽王姫宮涅、周王姫胡の後に、周室は微(び おとろえる)になり、陪臣(ばいしん 家臣の家臣)が政治を執(と)り、史(史官)は時を記さず、
君不告朔故疇人子弟分散或在諸夏
君は朔(月のはじめ)を告げず、故(ゆえ)に,疇人(ちゅうじん 天文、暦算にすぐれた人)の子弟(してい)は分散して、或(あ)るものは諸(もろもろ)の夏(か ちゅうごく)に在(あ)り、
或在夷狄是以其禨祥廢而不統
或(あ)るものは夷狄(いてき 異民族)に在(あ)り、ここにその禨祥(きしょう たたりとさいわい)を以って廃(はい)されて統(す)べらなかった。
周襄王二十六年閏三月而春秋非之
周襄王姫鄭二十六年閏三月にして春秋経はこれを非(ひ あやまり)とした。
先王之正時也履端於始舉正於中歸邪於終
先王の時を正すは、始めに履端(りたん 端(たん いとぐち)を履(り 踏む))し、途中で正を挙(あ)げ、終わりに邪(じゃ 不正)に帰(き)する。
履端於始序則不愆
始めに履端(りたん 端(たん いとぐち)を履(り 踏む))すれば、序(じょ 順序だてる)は愆(けん まちがう)さず、
舉正於中民則不惑
途中で正を挙(あ)げれば、民はすなわち惑(まど)わず、
歸邪於終事則不悖
終わりに邪(じゃ 不正)に帰(き)すれば、事(こと)はすなわち勃(悖(ぼつ)=勃(ぼつ)? 興(おこ)る)らない。
其後戰國并爭在於彊國禽敵
その後、戦う国が並び争い、強国に在(あ)って、敵を擒(とりこ)にし、
救急解紛而已豈遑念斯哉
急(きゅう)を救(すく)い、紛乱(ふんらん)を解(と)いてそれのみ。どうしてこれを念(ねん 考える)ずる遑(こう いとま)があろうかな。
是時獨有鄒衍明於五之傳
この時、独(ひと)り鄒衍(人名 騶衍)がおり、五徳(五行)の伝を明らかにし、
而散消息之分以顯諸侯
消息(消えることと生じること)の分(ぶん)を散(さん 分ける くばる)して、諸侯に顕(あきらか)になった。