而亦因秦滅六國兵戎極煩
しこうして、また秦に因(よ)りて六国を滅ぼし、兵戎(戦乱)は煩(わずら)わしさを極(きわ)め、
又升至尊之日淺未暇遑也
至尊(しそん 天子の敬称)を昇(のぼ)す日は浅(あさ)く、未(ま)だ暇遑(いとま)がなかった。
而亦頗推五勝而自以為獲水之瑞
しこうして、また頗(すこぶ)る五勝を推(お)し進め、しこうして、自ら水徳の瑞(めでたい前しらせ)を獲(え)たと思い、
更名河曰水而正以十月色上
河を改名して曰く、徳水、と。しこうして正(年のはじめ)は十月を以ってして、色は黒を上(=尚(しょう) とうとぶ)した。
然歷度閏餘未能睹其真也
然(しか)るに歴(天体の運行)は閏余(うるうの余り)を度(ど はかる)するに、未(ま)だその真(まこと)を睹(と 調べる)することができなかったのである。
漢興高祖曰北畤待我而起亦自以為獲水之瑞
漢が興(おこ)り、漢高祖劉邦曰く、「北の畤(境界)は我(われ)を待って起(お)こる」と。
また自ら水徳の瑞(めでたい前しらせ)を獲(え)ると思った。
雖明習歷及張蒼等咸以為然
歴(天体の運行)に習熟して明らかであると雖(いえど)も、張蒼らに及んでは、咸(かん あまねく)然(しか)りと思った。
是時天下初定方綱紀大基
この時、天下は定まったばかりで、方(まさ)に綱紀(こうき)は大いなる基(もと)にならんとし、
高后女主皆未遑故襲秦正朔服色
漢高后呂雉は女主(おんなあるじ)で、皆(みな)未だ 遑(こう いとま)がなく、故(ゆえ)に、秦の正朔(こよみ 年のはじめと月のはじめ)、服色を踏襲(とうしゅう)した。
しこうして、また秦に因(よ)りて六国を滅ぼし、兵戎(戦乱)は煩(わずら)わしさを極(きわ)め、
又升至尊之日淺未暇遑也
至尊(しそん 天子の敬称)を昇(のぼ)す日は浅(あさ)く、未(ま)だ暇遑(いとま)がなかった。
而亦頗推五勝而自以為獲水之瑞
しこうして、また頗(すこぶ)る五勝を推(お)し進め、しこうして、自ら水徳の瑞(めでたい前しらせ)を獲(え)たと思い、
更名河曰水而正以十月色上
河を改名して曰く、徳水、と。しこうして正(年のはじめ)は十月を以ってして、色は黒を上(=尚(しょう) とうとぶ)した。
然歷度閏餘未能睹其真也
然(しか)るに歴(天体の運行)は閏余(うるうの余り)を度(ど はかる)するに、未(ま)だその真(まこと)を睹(と 調べる)することができなかったのである。
漢興高祖曰北畤待我而起亦自以為獲水之瑞
漢が興(おこ)り、漢高祖劉邦曰く、「北の畤(境界)は我(われ)を待って起(お)こる」と。
また自ら水徳の瑞(めでたい前しらせ)を獲(え)ると思った。
雖明習歷及張蒼等咸以為然
歴(天体の運行)に習熟して明らかであると雖(いえど)も、張蒼らに及んでは、咸(かん あまねく)然(しか)りと思った。
是時天下初定方綱紀大基
この時、天下は定まったばかりで、方(まさ)に綱紀(こうき)は大いなる基(もと)にならんとし、
高后女主皆未遑故襲秦正朔服色
漢高后呂雉は女主(おんなあるじ)で、皆(みな)未だ 遑(こう いとま)がなく、故(ゆえ)に、秦の正朔(こよみ 年のはじめと月のはじめ)、服色を踏襲(とうしゅう)した。