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至孝文時魯人公孫臣

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至孝文時魯人公孫臣以終始五上書

漢孝文帝劉恒の時に至り、魯人の公孫臣が五徳を終始(しゅうし しまいまでやりとおす)するを以って上書し、

言漢得土宜更元改正朔易服色

言った、「漢は土徳を得ており、宜(よろ)しく元(元号)を改(あらた)め、正朔(年のはじめと月のはじめ)を改(あらた)め、服色を変えるべきです。

當有瑞瑞黃龍見事下丞相張蒼

まさに瑞(ずい めでたい前しらせ)があり、瑞(ずい めでたい前しらせ)は黄龍が現(あらわ)れるでしょう」と。事は漢丞相張蒼に下(くだ)され、

張蒼亦學律歷以為非是罷之

漢丞相張蒼もまた律(音律)、歴(年まわり)を学び、これを非(ひ 正しくない)と為すを以って、これを罷(ひ 中止する)した。

其後黃龍見成紀張蒼自黜所欲論著不成

その後、黄龍が成紀に現(あらわ)れ、漢丞相張蒼は自ら黜(ちゅつ しりぞける)し、論じ著(あらわ)すを欲したところは成(な)らなかった。

而新垣平以望氣見頗言正歷服色事

しこうして、新垣平が望気(ぼうき 雲の様子をみて吉凶を判断する)を以って見(まみ)え、頗(すこぶ)る正しい歴(年まわり)、服色の事(こと)を言い、

貴幸後作亂故孝文帝廢不復問

貴幸(きこう 貴ばれてかわいがられる)されたが、後に作乱して、故(ゆえ)に漢孝文帝劉恒は廃(はい)してふたたび問わなかった。

至今上即位招致方士唐都分其天部

今上(漢孝武帝劉徹)が即位に至り、方士(ほうし)の唐都(人名)を招致(しょうち)して、その天部を分(わ)け、

而巴落下閎運算轉歷然後日辰之度與夏正同

しこうして巴(地方名)の落下閎(人名)が転歴(年まわり)を運算(うんざん 式を計算する)し、然(しか)る後に日(太陽)辰(星座)の度(ど)は夏王朝の正(年のはじめ)と同じであった。

乃改元更官號封泰山

そこで、元号を改(あらた)め、官号(官の名前)を新たにして、泰山に封(天を祭る)をした。

因詔御史曰乃者有司言星度之未定也

詔(みことのり)の御史に因(よ)りて曰く、「乃者(ないしゃ 以前に)、有司(役人)が星の度(ど)が未(ま)だ定まっていないと言った。

廣延宣問以理星度未能也

広延(こうえん 広く延(の)びる)に宣(せん 述べる)して問うは、星の度(ど)を理(り すじみち)するを以ってしたが、未(ま)だ(せん いたる しゃべる)することができなかったのである。

蓋聞昔者黃帝合而不死名察度驗

思うに聞く、昔、黄帝が迎(むか)えられて(合(ごう)=迎(ごう)?)、不死になり、度(ど)を
明察(めいさつ 名(めい)=明(めい)?)して験(けん しらべる)し、

定清濁起五部建氣物分數然蓋尚矣

清濁(せいだく)を定め、五部を起こし、気物(きぶつ)の分数を建てた。然(しか)るに蓋(けだ)し尚(しょう 尊ぶ)である。

書缺樂弛朕甚閔焉

書は欠(か)けて、楽は弛(ゆる)み、朕は甚(はなは)だ閔(びん うれえる)である。

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