然兵困於京索之迫西山而不能進者
然(しか)るに兵は京、索の間に於いて困窮し、西山に迫(せま)って前進することができず、
三年於此矣漢王將數十萬之眾
ここに於いて三年。漢王劉邦は数十万人の衆を率(ひき)いて、
距鞏雒阻山河之險一日數戰
鞏、雒に山や河の険(けん)を阻(はば)んで対峙(たいじ)し、一日たびたび戦い、
無尺寸之功折北不救敗滎陽傷成皋
尺寸の功も無く、戦いに負けて逃げるはふせぐことができず、栄陽に敗(やぶ)れ、成皋に傷つき、
遂走宛葉之此所謂智勇俱困者也
遂(つい)に、宛、葉の間に走り、これ、所謂(いわゆる)智、勇がともに困窮したというものなり。
夫銳氣挫於險塞而糧食竭於內府
それ、鋭気(えいき)は険塞(けんそく)に挫(くじ)かれ、しこうして、食糧は内府に於いて尽(つ)き、
百姓罷極怨望容容無所倚以臣料之
百姓はつかれはてうらめしく思い、容容とゆったりともたれるところ無ありません。わたしを以ってこれをはかるに、
其勢非天下之賢聖固不能息天下之禍
その勢(いきお)いは天下の賢、聖でなければ、固(もと)より天下の禍(わざわい)をなくすことはできないでしょう。
當今兩主之命縣於足下足下為漢則漢勝
まさに今、両主の運命は足下(斉王韓信)に懸(か)かっています。足下が漢の為にすれば漢が勝ち、
與楚則楚勝臣願披腹心輸肝膽
楚とともにすれば、楚が勝ちます。わたしは願わくは、心の底を披(ひら)き心の中をうちあけ、
效愚計恐足下不能用也
愚計をたてまつり、足下(斉王韓信)が用いることができないことを恐れるのであります。
然(しか)るに兵は京、索の間に於いて困窮し、西山に迫(せま)って前進することができず、
三年於此矣漢王將數十萬之眾
ここに於いて三年。漢王劉邦は数十万人の衆を率(ひき)いて、
距鞏雒阻山河之險一日數戰
鞏、雒に山や河の険(けん)を阻(はば)んで対峙(たいじ)し、一日たびたび戦い、
無尺寸之功折北不救敗滎陽傷成皋
尺寸の功も無く、戦いに負けて逃げるはふせぐことができず、栄陽に敗(やぶ)れ、成皋に傷つき、
遂走宛葉之此所謂智勇俱困者也
遂(つい)に、宛、葉の間に走り、これ、所謂(いわゆる)智、勇がともに困窮したというものなり。
夫銳氣挫於險塞而糧食竭於內府
それ、鋭気(えいき)は険塞(けんそく)に挫(くじ)かれ、しこうして、食糧は内府に於いて尽(つ)き、
百姓罷極怨望容容無所倚以臣料之
百姓はつかれはてうらめしく思い、容容とゆったりともたれるところ無ありません。わたしを以ってこれをはかるに、
其勢非天下之賢聖固不能息天下之禍
その勢(いきお)いは天下の賢、聖でなければ、固(もと)より天下の禍(わざわい)をなくすことはできないでしょう。
當今兩主之命縣於足下足下為漢則漢勝
まさに今、両主の運命は足下(斉王韓信)に懸(か)かっています。足下が漢の為にすれば漢が勝ち、
與楚則楚勝臣願披腹心輸肝膽
楚とともにすれば、楚が勝ちます。わたしは願わくは、心の底を披(ひら)き心の中をうちあけ、
效愚計恐足下不能用也
愚計をたてまつり、足下(斉王韓信)が用いることができないことを恐れるのであります。