太史公曰自初生民以來
太史公曰く、民を生じたばかりのときより以来、
世主曷嘗不歷日月星辰
世の主(あるじ)が曷(どうして)日月星辰を歴(順序だてる)さないことを嘗(こころみる)しただろうか。
及至五家三代紹而明之內冠帶
五家(五帝)、三代(夏、殷、周)に至るに及んで、紹(継承する)してこれを明らかにし、内(うち)に冠帯(礼義の厚い風俗)し、
外夷狄分中國為十有二州
外に狄(異民族)を夷(たいらげる)し、中国を分けて十と二州をつくり、
仰則觀象於天俯則法類於地
仰(あお)げば、天を観(み)て象(かたど)り、俯(うつむく)せば、地を法類(道理)した。
天則有日月地則有陰陽
天ならば日(太陽)月が有り、地ならば陰陽(いんよう)が有る。
天有五星地有五行
天ならば五星(火星、水星、木星、金星、土星)が有り、地ならば五行が有る。
天則有列宿地則有州域
天ならば列宿が有り、地ならば州域が有る。
三光者陰陽之精氣本在地而聖人統理之
三光(太陽、月、星)とは、陰陽の精(不思議な力を持つもの)で、気(雲気)の本(もと)は地に在(あ)って、聖人がこれを統理(とうり)した。
幽以往尚矣
周幽王、周王以前は、尚(古い)であり、
所見天變皆國殊窟穴家占物怪
天変(てんぺん)を現したところは、皆(みな)国は、窟穴(根拠地)を殊(こと)にし、家は、物の怪(もののけ)を占ない、
以合時應其文圖籍禨祥不法
時(とき)に合わせるを以って応じ、その文、図籍の禨祥(きしょう たたりとさいわい)はとりとめがない。
是以孔子論六經紀異而說不書
ここに孔子が六経を論ずるを以って異変を紀(記す)して、説(せつ)は書かなかった。
至天道命不傳
天道が明らか(命(めい)=明(めい)?)になるに至って、伝(つた)えられず。
傳其人不待告告非其人雖言不著
その人に伝えても、告(つ)げるを待(必要とする)たれず、その人に非(あら)ずに告(つ)げても、言うと雖(いえど)も著(あらわ)されず。
太史公曰く、民を生じたばかりのときより以来、
世主曷嘗不歷日月星辰
世の主(あるじ)が曷(どうして)日月星辰を歴(順序だてる)さないことを嘗(こころみる)しただろうか。
及至五家三代紹而明之內冠帶
五家(五帝)、三代(夏、殷、周)に至るに及んで、紹(継承する)してこれを明らかにし、内(うち)に冠帯(礼義の厚い風俗)し、
外夷狄分中國為十有二州
外に狄(異民族)を夷(たいらげる)し、中国を分けて十と二州をつくり、
仰則觀象於天俯則法類於地
仰(あお)げば、天を観(み)て象(かたど)り、俯(うつむく)せば、地を法類(道理)した。
天則有日月地則有陰陽
天ならば日(太陽)月が有り、地ならば陰陽(いんよう)が有る。
天有五星地有五行
天ならば五星(火星、水星、木星、金星、土星)が有り、地ならば五行が有る。
天則有列宿地則有州域
天ならば列宿が有り、地ならば州域が有る。
三光者陰陽之精氣本在地而聖人統理之
三光(太陽、月、星)とは、陰陽の精(不思議な力を持つもの)で、気(雲気)の本(もと)は地に在(あ)って、聖人がこれを統理(とうり)した。
幽以往尚矣
周幽王、周王以前は、尚(古い)であり、
所見天變皆國殊窟穴家占物怪
天変(てんぺん)を現したところは、皆(みな)国は、窟穴(根拠地)を殊(こと)にし、家は、物の怪(もののけ)を占ない、
以合時應其文圖籍禨祥不法
時(とき)に合わせるを以って応じ、その文、図籍の禨祥(きしょう たたりとさいわい)はとりとめがない。
是以孔子論六經紀異而說不書
ここに孔子が六経を論ずるを以って異変を紀(記す)して、説(せつ)は書かなかった。
至天道命不傳
天道が明らか(命(めい)=明(めい)?)になるに至って、伝(つた)えられず。
傳其人不待告告非其人雖言不著
その人に伝えても、告(つ)げるを待(必要とする)たれず、その人に非(あら)ずに告(つ)げても、言うと雖(いえど)も著(あらわ)されず。