昔之傳天數者高辛之前重黎於唐虞羲和
昔の天数を伝える者は、高辛(帝嚳)の前は、南正重、北正黎で、唐(陶唐 帝堯)、虞(有虞 帝舜)に於いては羲氏、和氏、
有夏昆吾殷商巫咸周室史佚萇弘
夏に有るは、昆吾氏、殷商では、巫咸、周室では、史佚、萇弘、
於宋子韋鄭則裨灶在齊甘公
宋に於いては、子韋、鄭ならば、裨灶、斉に在(あ)るは、甘公、
楚唐眛趙尹皋魏石申
楚では、唐眛、趙では、尹皋、魏では、石申。
夫天運三十歲一小變百年中變五百載大變
それ、天の運行は、三十年に一度、小変があり、百年で中変があり、五百年で大変がある。
三大變一紀三紀而大備此其大數也
三大変で一紀、三紀にして大備。これがその大数(自然の法則)である。
為國者必貴三五上下各千歲然後天人之際續備
国をつくる者は必ず三五(三皇五帝? 或いは五家(五帝)、三代(夏、殷、周)?)を貴(とうと)ぶ。上下各(おのおの)千年で、 然(しか)る後、天(てん)と人(ひと)の際(きわ)は備(そなえ)を続(うけつぐ)した。
太史公推古天變未有可考于今者
わたし(太史公)は古(いにしえ)の天変を推(お)しはかるに、未(ま)だ今に考えることができるものがない。
蓋略以春秋二百四十二年之日蝕三十六
蓋略(おおかた)、春秋時代の二百四十二年の間に、日蝕は三十六回、
彗星三見宋襄公時星隕如雨
彗星(すいせい)は三度現われ、宋襄公子茲甫の時には星が隕(落ちる)するは、雨の如(ごと)し。
昔の天数を伝える者は、高辛(帝嚳)の前は、南正重、北正黎で、唐(陶唐 帝堯)、虞(有虞 帝舜)に於いては羲氏、和氏、
有夏昆吾殷商巫咸周室史佚萇弘
夏に有るは、昆吾氏、殷商では、巫咸、周室では、史佚、萇弘、
於宋子韋鄭則裨灶在齊甘公
宋に於いては、子韋、鄭ならば、裨灶、斉に在(あ)るは、甘公、
楚唐眛趙尹皋魏石申
楚では、唐眛、趙では、尹皋、魏では、石申。
夫天運三十歲一小變百年中變五百載大變
それ、天の運行は、三十年に一度、小変があり、百年で中変があり、五百年で大変がある。
三大變一紀三紀而大備此其大數也
三大変で一紀、三紀にして大備。これがその大数(自然の法則)である。
為國者必貴三五上下各千歲然後天人之際續備
国をつくる者は必ず三五(三皇五帝? 或いは五家(五帝)、三代(夏、殷、周)?)を貴(とうと)ぶ。上下各(おのおの)千年で、 然(しか)る後、天(てん)と人(ひと)の際(きわ)は備(そなえ)を続(うけつぐ)した。
太史公推古天變未有可考于今者
わたし(太史公)は古(いにしえ)の天変を推(お)しはかるに、未(ま)だ今に考えることができるものがない。
蓋略以春秋二百四十二年之日蝕三十六
蓋略(おおかた)、春秋時代の二百四十二年の間に、日蝕は三十六回、
彗星三見宋襄公時星隕如雨
彗星(すいせい)は三度現われ、宋襄公子茲甫の時には星が隕(落ちる)するは、雨の如(ごと)し。