此言貴能行之夫功者難成而易敗
これ、行うことができることを貴(とうと)ぶことを言っています。それ、功とは成(な)り難(がた)く敗(やぶ)れ易(やす)く、
時者難得而易失也時乎時不再來
時(とき)とは得がたくて失い易(やす)いです。時(とき)です、時(とき)は再び来ないのです。
願足下詳察之韓信猶豫不忍倍漢
願わくは足下(斉王韓信)にはこれを詳(くわ)しくお考えください」と。斉王韓信はためらって漢にそむくことが忍(しの)ばれなかった。
又自以為功多漢終不奪我齊
また、自(みずか)らを功が多く、漢は終(しま)いまで我(わ)が斉を奪(うば)わないだろうと思うを以ってした。
遂謝蒯通蒯通說不聽已詳狂為巫
遂(つい)に蒯通に謝(しゃ)した。蒯通の説(せつ)が聴き入れられなかったので、すでに狂人をいつわり、かんなぎに為った。
漢王之困固陵用張良計召齊王信
漢王劉邦の固陵で困窮するは、張良の計を用い、斉王韓信を召し寄せて、
遂將兵會垓下項羽已破高祖襲奪齊王軍
遂(つい)に兵を率(ひき)いて垓下に会した。項羽がすでに破(やぶ)れると、漢高祖劉邦は斉王軍を襲(おそ)って奪(うば)った。
漢五年正月徙齊王信為楚王都下邳
漢五年正月、斉王韓信を移して楚王と為し、下邳を都(みやこ)とした。
信至國召所從食漂母賜千金
楚王韓信が国に至ると、食事をふるまわれたところの、古いわたを水にさらしていた年配の女性を召(め)しよせ、千金を賜(たま)わった。
及下鄉南昌亭長賜百錢曰
下郷南昌亭長に及んでは、百銭を賜(たま)わり、曰く、
公小人也為不卒
「公はつまらない人であって、徳(とく)を為すは終(しま)いまでしなかった」と。
召辱己之少年令出胯下者以為楚中尉
少年の、またの下をくぐらせて、己(おのれ)を辱(はずかし)めた者を召しよせ、楚中尉と為すを以ってした。
告諸將相曰此壯士也方辱我時
諸(もろもろ)の将軍、大臣に告(つ)げて曰く、「これは壮士である。まさに我(われ)を辱(はずかし)めんとした時、
我寧不能殺之邪殺之無名故忍而就於此
我(われ)は寧(むし)ろこれを殺すことができなかっただろうか。これを殺しても名声は無く、
故(ゆえ)に忍(しの)んで、これにつきしたがったのだ」と。
これ、行うことができることを貴(とうと)ぶことを言っています。それ、功とは成(な)り難(がた)く敗(やぶ)れ易(やす)く、
時者難得而易失也時乎時不再來
時(とき)とは得がたくて失い易(やす)いです。時(とき)です、時(とき)は再び来ないのです。
願足下詳察之韓信猶豫不忍倍漢
願わくは足下(斉王韓信)にはこれを詳(くわ)しくお考えください」と。斉王韓信はためらって漢にそむくことが忍(しの)ばれなかった。
又自以為功多漢終不奪我齊
また、自(みずか)らを功が多く、漢は終(しま)いまで我(わ)が斉を奪(うば)わないだろうと思うを以ってした。
遂謝蒯通蒯通說不聽已詳狂為巫
遂(つい)に蒯通に謝(しゃ)した。蒯通の説(せつ)が聴き入れられなかったので、すでに狂人をいつわり、かんなぎに為った。
漢王之困固陵用張良計召齊王信
漢王劉邦の固陵で困窮するは、張良の計を用い、斉王韓信を召し寄せて、
遂將兵會垓下項羽已破高祖襲奪齊王軍
遂(つい)に兵を率(ひき)いて垓下に会した。項羽がすでに破(やぶ)れると、漢高祖劉邦は斉王軍を襲(おそ)って奪(うば)った。
漢五年正月徙齊王信為楚王都下邳
漢五年正月、斉王韓信を移して楚王と為し、下邳を都(みやこ)とした。
信至國召所從食漂母賜千金
楚王韓信が国に至ると、食事をふるまわれたところの、古いわたを水にさらしていた年配の女性を召(め)しよせ、千金を賜(たま)わった。
及下鄉南昌亭長賜百錢曰
下郷南昌亭長に及んでは、百銭を賜(たま)わり、曰く、
公小人也為不卒
「公はつまらない人であって、徳(とく)を為すは終(しま)いまでしなかった」と。
召辱己之少年令出胯下者以為楚中尉
少年の、またの下をくぐらせて、己(おのれ)を辱(はずかし)めた者を召しよせ、楚中尉と為すを以ってした。
告諸將相曰此壯士也方辱我時
諸(もろもろ)の将軍、大臣に告(つ)げて曰く、「これは壮士である。まさに我(われ)を辱(はずかし)めんとした時、
我寧不能殺之邪殺之無名故忍而就於此
我(われ)は寧(むし)ろこれを殺すことができなかっただろうか。これを殺しても名声は無く、
故(ゆえ)に忍(しの)んで、これにつきしたがったのだ」と。