其後十八年孝文帝即位
その後十八年、漢孝文帝劉恒が即位(そくい)した。
即位十三年下詔曰今祕祝移過于下朕甚不取自今除之
即位して十三年、詔(みことのり)を下(くだ)して曰く、「今、秘祝の官が下に禍(わざわい 過=禍?)を移(まわし文)し、朕(ちん)は甚(はなは)だ取(よいとする)さない。今よりこれを除(のぞ)けよ」と。
始名山大川在諸侯諸侯祝各自奉祠天子官不領
始め、名山大川は諸侯に在(あ)って、諸侯の祝官が各自(かくじ)で祠(まつり)を奉(たてまつ)り、天子の祝官は領(おさめる)さなかった。
及齊淮南國廢令太祝盡以歲時致禮如故
斉、淮南国が廃(すた)れるに及んで、太祝に礼して歳時(さいじ)を以って故(むかし)の如(ごと)く礼を致(つくす)させた。
是歲制曰朕即位十三年于今宗廟之靈社稷之福方內艾安民人靡疾
この年、制(せい)して曰く、「朕(ちん)は即位して今に十三年、宗廟の霊、社稷(しゃしょく)の福(ふく)を頼(たの)みにして、まさに内(うち)は艾安(がいあん 世の中が治まり平安なこと)し、人民は疾(流行病)を靡(ほろびる つきる)した。
者比年登朕之不何以饗此皆上帝諸神之賜也
このごろは、比年(毎年)登(実る 成熟する 豊作)し、朕(ちん)は不徳で、何ものを以って此(こ)れに饗(供物をささげて神仏を祭る)しようか。皆(みな)上帝、諸(もろもろ)の神の賜(恩恵)である。
蓋聞古者饗其必報其功欲有諸神祠
思うに聞く、古(いにしえ)ではその徳を饗(供物をささげて神仏を祭る)して必ずその功に報(むく)いて、諸(もろもろ)の神の祠(まつり)に有(また さらに)増(くわえる)することを欲した、と。
有司議雍五畤路車各一乘駕被具
有司(役人)は議(ぎ)して、雍の五つの畤に路車(王、諸侯の車)各(おのおの)一乘(一台)、駕被具(乗り物を被(おお)う器具?)、
西畤畦畤禺車各一乘禺馬四匹駕被具
西畤、畦畤には、禺(木の人形)の車各(おのおの)一乗(一台)、禺(木の人形)の馬四匹、駕被具を増(くわえる)し、
其河湫漢水加玉各二
その河、湫、漢水には玉を各(おのおの)二個加(くわ)え、
及諸祠各廣壇場珪幣俎豆以差加之
諸(もろもろ)の祠(ほこら)に及んでは、各(おのおの)壇場(だんじょう)をますます広くして、珪幣(たからもの)俎豆(ごちそう)は差(さ)を以ってこれに加えた。
而祝祕者歸福於朕百姓不與焉自今祝致敬毋有所祈
しかし、祝秘の官の者は朕(ちん)に於いて福(ふく)を帰(き)していて、百姓は与(あずか)っていないのである。今より祝官は敬(うやまい)を致(つくす)し、祈(求める)るところで有ることなかれ」と。
その後十八年、漢孝文帝劉恒が即位(そくい)した。
即位十三年下詔曰今祕祝移過于下朕甚不取自今除之
即位して十三年、詔(みことのり)を下(くだ)して曰く、「今、秘祝の官が下に禍(わざわい 過=禍?)を移(まわし文)し、朕(ちん)は甚(はなは)だ取(よいとする)さない。今よりこれを除(のぞ)けよ」と。
始名山大川在諸侯諸侯祝各自奉祠天子官不領
始め、名山大川は諸侯に在(あ)って、諸侯の祝官が各自(かくじ)で祠(まつり)を奉(たてまつ)り、天子の祝官は領(おさめる)さなかった。
及齊淮南國廢令太祝盡以歲時致禮如故
斉、淮南国が廃(すた)れるに及んで、太祝に礼して歳時(さいじ)を以って故(むかし)の如(ごと)く礼を致(つくす)させた。
是歲制曰朕即位十三年于今宗廟之靈社稷之福方內艾安民人靡疾
この年、制(せい)して曰く、「朕(ちん)は即位して今に十三年、宗廟の霊、社稷(しゃしょく)の福(ふく)を頼(たの)みにして、まさに内(うち)は艾安(がいあん 世の中が治まり平安なこと)し、人民は疾(流行病)を靡(ほろびる つきる)した。
者比年登朕之不何以饗此皆上帝諸神之賜也
このごろは、比年(毎年)登(実る 成熟する 豊作)し、朕(ちん)は不徳で、何ものを以って此(こ)れに饗(供物をささげて神仏を祭る)しようか。皆(みな)上帝、諸(もろもろ)の神の賜(恩恵)である。
蓋聞古者饗其必報其功欲有諸神祠
思うに聞く、古(いにしえ)ではその徳を饗(供物をささげて神仏を祭る)して必ずその功に報(むく)いて、諸(もろもろ)の神の祠(まつり)に有(また さらに)増(くわえる)することを欲した、と。
有司議雍五畤路車各一乘駕被具
有司(役人)は議(ぎ)して、雍の五つの畤に路車(王、諸侯の車)各(おのおの)一乘(一台)、駕被具(乗り物を被(おお)う器具?)、
西畤畦畤禺車各一乘禺馬四匹駕被具
西畤、畦畤には、禺(木の人形)の車各(おのおの)一乗(一台)、禺(木の人形)の馬四匹、駕被具を増(くわえる)し、
其河湫漢水加玉各二
その河、湫、漢水には玉を各(おのおの)二個加(くわ)え、
及諸祠各廣壇場珪幣俎豆以差加之
諸(もろもろ)の祠(ほこら)に及んでは、各(おのおの)壇場(だんじょう)をますます広くして、珪幣(たからもの)俎豆(ごちそう)は差(さ)を以ってこれに加えた。
而祝祕者歸福於朕百姓不與焉自今祝致敬毋有所祈
しかし、祝秘の官の者は朕(ちん)に於いて福(ふく)を帰(き)していて、百姓は与(あずか)っていないのである。今より祝官は敬(うやまい)を致(つくす)し、祈(求める)るところで有ることなかれ」と。