其明年趙人新垣平以望氣見上言長安東北有神氣成五采若人冠絻焉
その明くる年、趙人の新垣平が望気(雲の様子をみて吉凶を判断する)を以って上(天子)に見(まみ)え、言った、「長安の東北に神気が有り、五彩(五色のいろどり)を成(な)し、人の冠絻(かんむり)のごとし。
或曰東北神明之舍西方神明之墓也天瑞下宜立祠上帝以合符應
或(あ)るものは曰く、東北は神明の舎(いえ)で、西方は神明の墓である、と。天の瑞(めでたいしるし)が下(くだ)され、宜(よろ)しく上帝の祠(ほこら)を立て、符応(しるし)を合わせるを以ってするべきです」と。
於是作渭陽五帝廟同宇帝一殿面各五門各如其帝色祠所用及儀亦如雍五畤
ここに於いて渭陽に五帝の廟を作り、宇(すまい)を同じにして、一帝に一殿で、面(おもて)は各(おのおの)五つの門で、各(おのおの)その帝の色の如(ごと)くした。祠(まつり)が用いるところ及び儀するところもまた雍の五つの畤の如(ごと)くした。
夏四月文帝親拜霸渭之會以郊見渭陽五帝
夏四月、漢孝文帝劉恒はみずから霸(川名 渭水の支流)、渭(川名)の会(合流)を拝(おが)み、渭陽の五帝に郊見(こうけん)するを以ってした。
五帝廟南臨渭北穿蒲池溝水權火舉而祠若光然屬天焉
五帝廟は南に渭に臨(のぞ)み、北は蒲(がま)の池を穿(うが)ち、水を溝(みぞ 水路)し、権火を挙(あ)げて祠(まつる)するは、光然とひかりかがやき天に属(ぞく)するがごとくであった。
於是貴平上大夫賜累千金
ここに於いて新垣平を上大夫にして貴(とうと)び、賜わりものは千金を累(かさねる)した。
而使博士諸生刺六經中作王制謀議巡狩封禪事
しこうして、博士、諸(もろもろ)の儒者をして、六経の中を刺(さぐる)して、王制を作らせ、巡行、封禅の事を謀(はか)り議(ぎ)させた。
文帝出長門若見五人於道北遂因其直北立五帝壇祠以五牢具
漢孝文帝劉恒が長門を出て、五人に道北に於いて見(まみ)えるにおよんで、遂(つい)に因(よ)りてそのまっすぐ北に五帝の壇を立て、祠(まつる)に五牢具(いけにえの五種類のごちそう)を以ってした。
その明くる年、趙人の新垣平が望気(雲の様子をみて吉凶を判断する)を以って上(天子)に見(まみ)え、言った、「長安の東北に神気が有り、五彩(五色のいろどり)を成(な)し、人の冠絻(かんむり)のごとし。
或曰東北神明之舍西方神明之墓也天瑞下宜立祠上帝以合符應
或(あ)るものは曰く、東北は神明の舎(いえ)で、西方は神明の墓である、と。天の瑞(めでたいしるし)が下(くだ)され、宜(よろ)しく上帝の祠(ほこら)を立て、符応(しるし)を合わせるを以ってするべきです」と。
於是作渭陽五帝廟同宇帝一殿面各五門各如其帝色祠所用及儀亦如雍五畤
ここに於いて渭陽に五帝の廟を作り、宇(すまい)を同じにして、一帝に一殿で、面(おもて)は各(おのおの)五つの門で、各(おのおの)その帝の色の如(ごと)くした。祠(まつり)が用いるところ及び儀するところもまた雍の五つの畤の如(ごと)くした。
夏四月文帝親拜霸渭之會以郊見渭陽五帝
夏四月、漢孝文帝劉恒はみずから霸(川名 渭水の支流)、渭(川名)の会(合流)を拝(おが)み、渭陽の五帝に郊見(こうけん)するを以ってした。
五帝廟南臨渭北穿蒲池溝水權火舉而祠若光然屬天焉
五帝廟は南に渭に臨(のぞ)み、北は蒲(がま)の池を穿(うが)ち、水を溝(みぞ 水路)し、権火を挙(あ)げて祠(まつる)するは、光然とひかりかがやき天に属(ぞく)するがごとくであった。
於是貴平上大夫賜累千金
ここに於いて新垣平を上大夫にして貴(とうと)び、賜わりものは千金を累(かさねる)した。
而使博士諸生刺六經中作王制謀議巡狩封禪事
しこうして、博士、諸(もろもろ)の儒者をして、六経の中を刺(さぐる)して、王制を作らせ、巡行、封禅の事を謀(はか)り議(ぎ)させた。
文帝出長門若見五人於道北遂因其直北立五帝壇祠以五牢具
漢孝文帝劉恒が長門を出て、五人に道北に於いて見(まみ)えるにおよんで、遂(つい)に因(よ)りてそのまっすぐ北に五帝の壇を立て、祠(まつる)に五牢具(いけにえの五種類のごちそう)を以ってした。