明年匈奴數入邊興兵守御後歲少不登
明くる年、匈奴がたびたび辺境に入り、兵を興(おこ)して守御(しゅぎょ)した。後、歳(みのり)は少なく不登(熟さない)になった。
數年而孝景即位十六年祠官各以歲時祠如故無有所興至今天子
数年して漢孝景帝劉啓が即位した。十六年、祠官が各(おのおの)歳時(さいじ)を以って故(むかし)の如(ごと)く祠(まつる)し、興(おこ)したところは無く、今の天子に至った。
今天子初即位尤敬鬼神之祀
今の天子(漢孝武帝劉徹)が即位したばかりのとき、鬼神の祀(まつ)りを尤(もっと)も敬(うやま)った。
元年漢興已六十餘歲矣天下艾安搢紳之屬皆望天子封禪改正度也
元年、漢が興(おこ)ってすでに六十余年、天下は艾安(がいあん 世の中が治まり平安なこと)し、搢紳(しんしん 官位の高い人)の属(ぞく)は皆(みな)天子の封禅、改正度(正しい度に改める)を望んだのである。
而上鄉儒術招賢良趙綰王臧等以文學為公卿欲議古立明堂城南以朝諸侯
しこうして上(天子)は儒術に郷(向う)し、賢良を招(まね)き、趙綰、王臧らは文学を以って公卿と為り、古(いにしえ)を議(ぎ)して明堂を城南に立て、諸侯に朝するを以ってすることを欲した。
草巡狩封禪改歷服色事未就
巡行、封禅、改暦、服色の事を草案したが、未(ま)だ就(できあがる)かなかった。
會竇太后治黃老言不好儒術使人微伺得趙綰等姦利事
この時、竇太后は黄老の言を治(おさ)め、儒術を好まず、人をしてひそかに伺(うかが)わせ趙綰らの不正な利得事を得さしめた。
召案綰臧綰臧自殺諸所興為皆廢
趙綰、王臧を召(め)して案(取り調べる)じ、趙綰、王臧は自殺した。諸(もろもろ)の興(おこ)したところは皆廃(みな廃(すた)れる)と為った。
明くる年、匈奴がたびたび辺境に入り、兵を興(おこ)して守御(しゅぎょ)した。後、歳(みのり)は少なく不登(熟さない)になった。
數年而孝景即位十六年祠官各以歲時祠如故無有所興至今天子
数年して漢孝景帝劉啓が即位した。十六年、祠官が各(おのおの)歳時(さいじ)を以って故(むかし)の如(ごと)く祠(まつる)し、興(おこ)したところは無く、今の天子に至った。
今天子初即位尤敬鬼神之祀
今の天子(漢孝武帝劉徹)が即位したばかりのとき、鬼神の祀(まつ)りを尤(もっと)も敬(うやま)った。
元年漢興已六十餘歲矣天下艾安搢紳之屬皆望天子封禪改正度也
元年、漢が興(おこ)ってすでに六十余年、天下は艾安(がいあん 世の中が治まり平安なこと)し、搢紳(しんしん 官位の高い人)の属(ぞく)は皆(みな)天子の封禅、改正度(正しい度に改める)を望んだのである。
而上鄉儒術招賢良趙綰王臧等以文學為公卿欲議古立明堂城南以朝諸侯
しこうして上(天子)は儒術に郷(向う)し、賢良を招(まね)き、趙綰、王臧らは文学を以って公卿と為り、古(いにしえ)を議(ぎ)して明堂を城南に立て、諸侯に朝するを以ってすることを欲した。
草巡狩封禪改歷服色事未就
巡行、封禅、改暦、服色の事を草案したが、未(ま)だ就(できあがる)かなかった。
會竇太后治黃老言不好儒術使人微伺得趙綰等姦利事
この時、竇太后は黄老の言を治(おさ)め、儒術を好まず、人をしてひそかに伺(うかが)わせ趙綰らの不正な利得事を得さしめた。
召案綰臧綰臧自殺諸所興為皆廢
趙綰、王臧を召(め)して案(取り調べる)じ、趙綰、王臧は自殺した。諸(もろもろ)の興(おこ)したところは皆廃(みな廃(すた)れる)と為った。