後六年竇太后崩其明年徵文學之士公孫弘等
後六年、竇太后が崩御した。その明くる年、文学の士の公孫弘らを召し寄せた。
明年今上初至雍郊見五畤後常三歲一郊
明くる年、今上(漢孝武帝劉徹)は初めて雍に至り、五畤に郊見した。後、常(つね)に三年に一度郊(五帝をまつる)した。
是時上求神君捨之上林中蹄氏觀
この時、上は神君を求め、これを上林の中の蹄氏觀(磃氏館)に置いた。
神君者長陵女子以子死見神於先後宛若
神君とは長陵の女子で子を以って死し、先后の宛若に神を現わした
宛若祠之其室民多往祠平原君往祠其後子孫以尊顯
宛若はこれをその部屋で祀(まつ)り、民(たみ)の多くが行き祀(まつ)った。平原君(王太后(漢武帝の母)の母)が行き祀り、その後、子孫は尊ばれ顕(あきら)かになるを以ってした。
及今上即位則厚禮置祠之內中聞其言不見其人云
今上(漢孝武帝劉徹)の即位に及び、すなわち厚く礼し内中にこれを祀(まつ)り置き、その言葉を聞いて、その人を現わさないと云(い)う。
後六年、竇太后が崩御した。その明くる年、文学の士の公孫弘らを召し寄せた。
明年今上初至雍郊見五畤後常三歲一郊
明くる年、今上(漢孝武帝劉徹)は初めて雍に至り、五畤に郊見した。後、常(つね)に三年に一度郊(五帝をまつる)した。
是時上求神君捨之上林中蹄氏觀
この時、上は神君を求め、これを上林の中の蹄氏觀(磃氏館)に置いた。
神君者長陵女子以子死見神於先後宛若
神君とは長陵の女子で子を以って死し、先后の宛若に神を現わした
宛若祠之其室民多往祠平原君往祠其後子孫以尊顯
宛若はこれをその部屋で祀(まつ)り、民(たみ)の多くが行き祀(まつ)った。平原君(王太后(漢武帝の母)の母)が行き祀り、その後、子孫は尊ばれ顕(あきら)かになるを以ってした。
及今上即位則厚禮置祠之內中聞其言不見其人云
今上(漢孝武帝劉徹)の即位に及び、すなわち厚く礼し内中にこれを祀(まつ)り置き、その言葉を聞いて、その人を現わさないと云(い)う。