少君言上曰祠灶則致物致物而丹沙可化為黃金黃金成以為飲食器則益壽
李少君は上(漢孝武帝劉徹)に言った、曰く、「祠灶(かまどをまつる)すれば物(祓(ふつ)? 御祓い)を致(いた)し、物(祓(ふつ)? 御祓い)を致(いた)し、そこで、丹沙は変化して黄金と為ることができ、黄金が成(な)されて飲食器をつくるを以ってすれば、益々(ますます)寿(長命)します。
益壽而海中蓬萊僊者乃可見見之以封禪則不死黃帝是也
益々(ますます)寿(長命)し、そこで、海中の蓬萊の僊者(仙人)は、すなわち見(まみ)えることができ、これに見(まみ)えて封禅を以ってすれば、不死になり、黄帝がこれであります。
臣嘗游海上見安期生安期生食巨棗大如瓜
わたしは嘗(かつ)て海上を巡(めぐ)り、安期生に見(まみ)えたとき、安期生は巨棗(非常に大きいなつめ)で、大(だい)は瓜(うり)の如(ごと)くを食べていました。(孝武本紀では巨=臣になっていますので、訳が変わります)
安期生僊者通蓬萊中合則見人不合則隱
安期生は僊者(仙人)で、蓬萊の中を通(かよ)い、合(かなう)えば人に見(まみ)え、合(かなう)わなければ隠(かく)れます」と。
於是天子始親祠灶遣方士入海求蓬萊安期生之屬而事化丹沙諸藥齊為黃金矣
ここに於いて天子(漢孝武帝劉徹)はみずから祠灶(かまどをまつる)することを始め、方士を遣(つか)わして入海させ蓬萊の安期生の属(ぞく)を求めさせた。しこうして、丹沙、諸薬剤を変化させて黄金にすることを事(こと)としたのである。
居久之李少君病死天子以為化去不死而使黃錘史舒受其方
居ること久しくして、李少君が病死した。天子(漢孝武帝劉徹)は変化して去(さ)り不死になったと思い、そこで、黄錘史の舒をしてその方術を受継がせた。
求蓬萊安期生莫能得而海上燕齊怪迂之方士多更來言神事矣
蓬萊の安期生を求めさせたが求めることができたものはおらず、しこうして、海上、燕、斉の怪迂(でたらめで信用できない)の方士が多く更(さら)に来て、神事を言ったのである。
李少君は上(漢孝武帝劉徹)に言った、曰く、「祠灶(かまどをまつる)すれば物(祓(ふつ)? 御祓い)を致(いた)し、物(祓(ふつ)? 御祓い)を致(いた)し、そこで、丹沙は変化して黄金と為ることができ、黄金が成(な)されて飲食器をつくるを以ってすれば、益々(ますます)寿(長命)します。
益壽而海中蓬萊僊者乃可見見之以封禪則不死黃帝是也
益々(ますます)寿(長命)し、そこで、海中の蓬萊の僊者(仙人)は、すなわち見(まみ)えることができ、これに見(まみ)えて封禅を以ってすれば、不死になり、黄帝がこれであります。
臣嘗游海上見安期生安期生食巨棗大如瓜
わたしは嘗(かつ)て海上を巡(めぐ)り、安期生に見(まみ)えたとき、安期生は巨棗(非常に大きいなつめ)で、大(だい)は瓜(うり)の如(ごと)くを食べていました。(孝武本紀では巨=臣になっていますので、訳が変わります)
安期生僊者通蓬萊中合則見人不合則隱
安期生は僊者(仙人)で、蓬萊の中を通(かよ)い、合(かなう)えば人に見(まみ)え、合(かなう)わなければ隠(かく)れます」と。
於是天子始親祠灶遣方士入海求蓬萊安期生之屬而事化丹沙諸藥齊為黃金矣
ここに於いて天子(漢孝武帝劉徹)はみずから祠灶(かまどをまつる)することを始め、方士を遣(つか)わして入海させ蓬萊の安期生の属(ぞく)を求めさせた。しこうして、丹沙、諸薬剤を変化させて黄金にすることを事(こと)としたのである。
居久之李少君病死天子以為化去不死而使黃錘史舒受其方
居ること久しくして、李少君が病死した。天子(漢孝武帝劉徹)は変化して去(さ)り不死になったと思い、そこで、黄錘史の舒をしてその方術を受継がせた。
求蓬萊安期生莫能得而海上燕齊怪迂之方士多更來言神事矣
蓬萊の安期生を求めさせたが求めることができたものはおらず、しこうして、海上、燕、斉の怪迂(でたらめで信用できない)の方士が多く更(さら)に来て、神事を言ったのである。