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Channel: 倭人伝を解く
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其後則又作柏梁銅柱承露僊人掌之屬矣

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其後則又作柏梁銅柱承露僊人掌之屬矣

その後、すなわちまた、柏梁、銅柱、承露僊人掌の属(ぞく)を作った。

文成死明年天子病鼎湖甚巫醫無所不致不愈

文成将軍少翁が死んだ明くる年、天子(漢孝武帝劉徹)が鼎湖で病(やまい)にかかり甚(はなは)だしく、巫醫(みこと医者)の致(まねく)さないところは無かったが、癒(い)えなかった。

游水發根言上郡有巫病而鬼神下之

游水発根が言った、上郡に巫(みこ)がいて、病にして鬼神がこれに下(くだ)ります、と。

上召置祠之甘泉及病使人問神君

上(漢孝武帝劉徹)は召(め)してこれを甘泉に祠(まつる)り置いた。病(やまい)にかかるに及んで、人をして神君に問わせた。

神君言曰天子無憂病病少愈彊與我會甘泉

神君は言った、曰く、「天子は病に憂えることなかれ。病が少し癒(い)えたら、強(し)いて我(われ)と甘泉で会しましょう」と。

於是病愈遂起幸甘泉病良已大赦置壽宮神君

ここに於いて病が癒(い)え、遂(つい)に起き上がって甘泉に行き、病は完治した。大赦をおこなって、寿宮の神君を置いた。

壽宮神君最貴者太一其佐曰大禁司命之屬皆從之

寿宮の神君の最も貴(とうと)い者は太巫(孝武本紀では大夫となっていますので、おそらく太一ではなく大夫(たいふ)で=太巫(たいふ)?)で、その補佐は大禁、司命の属(ぞく)といい、皆(みな)これに従った。

非可得見聞其言言與人音等時去時來來則風肅然

見(まみ)えることは得られず、その言葉を聞き、言葉は人の音(うた ねいろ)と等(ひとしい)した。時に去り、時に来て、来たれば風(それとなく)肅然(しゅくぜん)と静かになった。

居室帷中時晝言然常以夜天子祓然後入

部屋は帷(とばり)の中に居(い)る。時に昼に言うが、然るに常に夜を以ってする。天子が御祓(はら)いをして然る後に入る。

因巫為主人關飲食所以言行下

因(よ)りて巫は主人と為り、飲食に関(かか)わる。言行(げんこう)を以ってしたところが下(くだ)される。

又置壽宮北宮張羽旗設供具以禮神君

また、寿宮の北宮を置いて、羽旗を張(は)り、供具(そなえもの)を設(もう)け、神君に礼するを以ってした。

神君所言上使人受書其言命之曰畫法

神君が言ったところは、上(漢孝武帝劉徹)は人をしてその言を受けて書かせ、これを命名して曰く、「画法」と。

其所語世俗之所知也無絕殊者而天子心獨喜

その話したところは、世俗の知るところであり、とりわけ殊(すぐれる)したものでは無かったが、天子(漢孝武帝劉徹)の心は一人喜んだ。

其事祕世莫知也

その事は秘密にされて、世に知るものはなかったのである。

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