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其後三年有司言元宜以天瑞命不宜以一二數

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其後三年有司言元宜以天瑞命不宜以一二數

その後三年、有司(役人)が元号は宜(よろ)しく天の瑞命(天から下されためでたい命令)を以ってするべきで、宜(よろ)しく一、二を以って数えるべきではないと言った。

一元曰建二元以長星曰光三元以郊得一角獸曰狩云

一(はじめ)の元号曰く、建、と。二番目の元号は長星(おそらく彗星)を以って曰く、光、と。三番目の元号は郊(天の神をまつる)して一角獸を得たのを以って曰く、狩、と云(い)う。

其明年冬天子郊雍議曰今上帝朕親郊而後土無祀則禮不答也

その明くる年の冬、天子(漢孝武帝劉徹)は郊雍(雍で上帝をまつる)し、議して曰く、「今、上帝は朕がみずから郊(天の神をまつる)し、しこうして后土(土の神)は祀(まつ)りが無く、すなわち礼は答(こた)えないのである」と。

有司與太史公祠官舒議天地牲角繭栗

有司(役人)は太史公、祠官の舒とともに議(ぎ)し、「天地の祀(まつ)りは牲(いけにえ)、角、繭(まゆ)、栗(くり)です。

今陛下親祠后土后土宜於澤中圜丘為五壇壇一黃犢太牢具已祠盡瘞而從祠衣上黃

今、陛下がみずから后土を祠(まつる)すれば、后土は宜しく沢中の円(まる)い丘に於いて五つの壇(だん)をつくるべきです。壇(だん)は一頭の黄色の犢(こうし)、太牢具(牛、羊、豕の三種がそろったごちそう)で、祠(まつる)を終えたらことごとくみな瘞(埋(うず)める)し、しこうして祠(まつる)にたずさわる衣(ころも)は黄色を上(とうとぶ)します」と。

於是天子遂東始立后土祠汾陰脽丘如舒等議

ここに於いて天子(漢孝武帝劉徹)は遂(つい)に東に進み、始めるに后土の祠(ほこら)を汾陰の脽丘に立て、舒らの議(ぎ)の如(ごと)くした。

上親望拜如上帝禮禮畢天子遂至滎陽而還

上(漢孝武帝劉徹)はみずから望拜(まつりおがむ)し、上帝の礼の如(ごと)くした。礼が畢(おわる)すると、天子(漢孝武帝劉徹)は遂(つい)に滎陽に至りて還(かえ)った。

過雒陽下詔曰三代邈絕矣難存其以三十里地封周後為周子南君以奉其先祀焉

雒陽に過(たちよる)して、詔(みことのり)を下(くだ)して曰く、「三代(夏、殷、周)は邈(はるか)に絶(非常に)し遠く、存(ながら)え難(がた)し。その(雒陽の)三十里(一里150m換算で約4.5km)の地を以って周の子孫に封じ、周子南君と為さしめ、その先祖の祀(まつ)りを奉(たてまつ)るを以ってさせよ」と。

是歲天子始巡郡縣侵尋於泰山矣

この年、天子は始めるに郡県を巡(めぐ)り、泰山に入り尋(たず)ねた。

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