上遂郊雍至隴西西登崆峒幸甘泉
上(漢孝武帝劉徹)は遂(つい)に雍で郊(天をまつる)し、隴西に至り、西に崆峒に登(のぼ)り、甘泉に行った。
令祠官舒等具太一祠壇祠壇放薄忌太一壇壇三垓
祠官の舒らに令して太一の祠壇を具(そな)えさせ、祠壇は薄忌の太一壇に倣(なら)い、壇は三垓(三段)にした。
五帝壇環居其下各如其方黃帝西南除八通鬼道
五帝の壇は環(わ)になって各(おのおの)がその方角の如(ごと)くその下に居(お)り、黄帝は西南で、八通の鬼道を除(はらいきよめる)した。
太一其所用如雍一畤物而加醴棗脯之屬殺一貍牛以為俎豆牢具
太一のその用いるところは雍の一畤の物の如(ごと)くし、しこうして、醴、棗(なつめ)、脯(干し肉、あるいは干した果実)の属を加え、一頭の犂牛(まだらうし 貍(り)=犂(り)?或いは牦牛)を殺して、俎豆(なつめなどの供物)、牢具(いけにえを用いたごちそう)と為すを以ってした。
而五帝獨有俎豆醴進其下四方地為醊食群神從者及北斗云
しこうして、五帝にはただ俎豆(なつめなどの供物)、醴(あまざけ)が有って進められた。その下段の四方の地面には、群神、從者、及び北斗七星に醊食(地に酒を注いで祭る)したと云(い)う。
已祠胙餘皆燎之其牛色白鹿居其中彘在鹿中水而洎之
祠(まつる)を終えると、胙(ひもろぎ 神に供え、祭りのあとに臣下に配る肉)のはしたは皆(みな)これを燎(焼く)した。その牛の色は白で、鹿はその中に居(お)り、彘(ぶた)は鹿の中に在(あ)り、水にしてこれを洎(肉のスープ)にした。
祭日以牛祭月以羊彘特太一祝宰則衣紫及繡
日(太陽)を祭るは牛を以ってし、月を祭るは羊(ひつじ)、彘(ぶた)の特(どちらか一つ)を以ってした。太一の祝宰はすなわち、衣(ころも)は紫色で刺繍(ししゅう)がほどこされていた。
五帝各如其色日赤月白
五帝には各(おのおの)その色の如(ごと)くして、日(太陽)は赤で、月は白にした。
上(漢孝武帝劉徹)は遂(つい)に雍で郊(天をまつる)し、隴西に至り、西に崆峒に登(のぼ)り、甘泉に行った。
令祠官舒等具太一祠壇祠壇放薄忌太一壇壇三垓
祠官の舒らに令して太一の祠壇を具(そな)えさせ、祠壇は薄忌の太一壇に倣(なら)い、壇は三垓(三段)にした。
五帝壇環居其下各如其方黃帝西南除八通鬼道
五帝の壇は環(わ)になって各(おのおの)がその方角の如(ごと)くその下に居(お)り、黄帝は西南で、八通の鬼道を除(はらいきよめる)した。
太一其所用如雍一畤物而加醴棗脯之屬殺一貍牛以為俎豆牢具
太一のその用いるところは雍の一畤の物の如(ごと)くし、しこうして、醴、棗(なつめ)、脯(干し肉、あるいは干した果実)の属を加え、一頭の犂牛(まだらうし 貍(り)=犂(り)?或いは牦牛)を殺して、俎豆(なつめなどの供物)、牢具(いけにえを用いたごちそう)と為すを以ってした。
而五帝獨有俎豆醴進其下四方地為醊食群神從者及北斗云
しこうして、五帝にはただ俎豆(なつめなどの供物)、醴(あまざけ)が有って進められた。その下段の四方の地面には、群神、從者、及び北斗七星に醊食(地に酒を注いで祭る)したと云(い)う。
已祠胙餘皆燎之其牛色白鹿居其中彘在鹿中水而洎之
祠(まつる)を終えると、胙(ひもろぎ 神に供え、祭りのあとに臣下に配る肉)のはしたは皆(みな)これを燎(焼く)した。その牛の色は白で、鹿はその中に居(お)り、彘(ぶた)は鹿の中に在(あ)り、水にしてこれを洎(肉のスープ)にした。
祭日以牛祭月以羊彘特太一祝宰則衣紫及繡
日(太陽)を祭るは牛を以ってし、月を祭るは羊(ひつじ)、彘(ぶた)の特(どちらか一つ)を以ってした。太一の祝宰はすなわち、衣(ころも)は紫色で刺繍(ししゅう)がほどこされていた。
五帝各如其色日赤月白
五帝には各(おのおの)その色の如(ごと)くして、日(太陽)は赤で、月は白にした。