其冬公孫卿候神河南言見僊人跡緱氏城上有物如雉往來城上
その冬、公孫卿は河南に神を候(うかがう)し、仙人の跡(あと)を緱氏城の上で見て、物の雉(きじ)の如(ごと)くが有って城の上を往来(おうらい)していたと言った。
天子親幸緱氏城視跡問卿得毋效文成五利乎
天子(漢孝武帝劉徹)はみずから緱氏城に跡(あと)を視(み)に行った。公孫卿に問うた、「文成将軍、五利将軍を效(まねる)することなく得たのか?」と。
卿曰僊者非有求人主人主者求之其道非少假神不來
公孫卿曰く、「仙者は人主に求めることは有りません、人主者がこれに求めるのです。その道は少し假(大目にみる)しないと、神は来ません。
言神事事如迂誕積以歲乃可致也
神事を言い、事は迂誕(遠大)の如(ごと)く、積(つ)むは歳を以ってしてすなわち致(まねく)すことができるのです」と。
於是郡國各除道繕治宮觀名山神祠所以望幸(也)[矣]
ここに於いて郡国は各(おのおの)道を除(はらいきよめる)し、宮観、名山の神祠所を繕(つくろ)い治(なお)し、望(まつる)を以って巡行したのである。
其春既滅南越上有嬖臣李延年以好音見
その春、すでに南越を滅ぼし、上(漢孝武帝劉徹)には嬖臣(お気に入りの臣下)の李延年というものが有り、音(曲)を好むを以って見(まみ)えた。
上善之下公卿議曰民祠尚有鼓舞樂今郊祀而無樂豈稱乎
上(漢孝武帝劉徹)はこれを善(よ)いとして、公卿に議を下(くだ)し、曰く、「民間の祠(まつり)には尚(なお)鼓舞楽が有るのに、今、郊祀(天の神をまつる)にして楽(音楽)が無いのは、どうして称(適している)しているだろうか」と。
公卿曰古者祠天地皆有樂而神祇可得而禮
公卿曰く、「古(いにしえ)では、天地を祠(まつる)するに皆(みな)楽(音楽)が有り、しこうして、神(天神)、祇(地の神)は礼を得(う)ることができたのです」と。
或曰太帝使素女鼓五十弦瑟悲帝禁不止故破其瑟為二十五弦
或(あ)るものが曰く、「太帝(おそらく太一)は素女(須女? 二十八宿の一つ 律書より)をして五十弦の瑟(おおごと)を鼓(かなでる)させ、悲しく、太帝が禁(さしとめる)じても止めなかったので、故(ゆえ)にその瑟(おおごと)を破(やぶ)って二十五弦に為さしめたのです」と。
於是塞南越禱祠太一后土始用樂舞益召歌兒作二十五弦及空侯琴瑟自此起
ここに於いて南越を塞(ふさ)ぎ、太一、后土(土地の神)を禱祠(とうし)し、始めるに楽舞を用い、益々(ますます)歌兒(歌う子供)を召し寄せ、二十五弦及び箜篌(くご ハーブに似た弦楽器)の琴(こと)瑟(しつ)を作るは、此れより起こった。
その冬、公孫卿は河南に神を候(うかがう)し、仙人の跡(あと)を緱氏城の上で見て、物の雉(きじ)の如(ごと)くが有って城の上を往来(おうらい)していたと言った。
天子親幸緱氏城視跡問卿得毋效文成五利乎
天子(漢孝武帝劉徹)はみずから緱氏城に跡(あと)を視(み)に行った。公孫卿に問うた、「文成将軍、五利将軍を效(まねる)することなく得たのか?」と。
卿曰僊者非有求人主人主者求之其道非少假神不來
公孫卿曰く、「仙者は人主に求めることは有りません、人主者がこれに求めるのです。その道は少し假(大目にみる)しないと、神は来ません。
言神事事如迂誕積以歲乃可致也
神事を言い、事は迂誕(遠大)の如(ごと)く、積(つ)むは歳を以ってしてすなわち致(まねく)すことができるのです」と。
於是郡國各除道繕治宮觀名山神祠所以望幸(也)[矣]
ここに於いて郡国は各(おのおの)道を除(はらいきよめる)し、宮観、名山の神祠所を繕(つくろ)い治(なお)し、望(まつる)を以って巡行したのである。
其春既滅南越上有嬖臣李延年以好音見
その春、すでに南越を滅ぼし、上(漢孝武帝劉徹)には嬖臣(お気に入りの臣下)の李延年というものが有り、音(曲)を好むを以って見(まみ)えた。
上善之下公卿議曰民祠尚有鼓舞樂今郊祀而無樂豈稱乎
上(漢孝武帝劉徹)はこれを善(よ)いとして、公卿に議を下(くだ)し、曰く、「民間の祠(まつり)には尚(なお)鼓舞楽が有るのに、今、郊祀(天の神をまつる)にして楽(音楽)が無いのは、どうして称(適している)しているだろうか」と。
公卿曰古者祠天地皆有樂而神祇可得而禮
公卿曰く、「古(いにしえ)では、天地を祠(まつる)するに皆(みな)楽(音楽)が有り、しこうして、神(天神)、祇(地の神)は礼を得(う)ることができたのです」と。
或曰太帝使素女鼓五十弦瑟悲帝禁不止故破其瑟為二十五弦
或(あ)るものが曰く、「太帝(おそらく太一)は素女(須女? 二十八宿の一つ 律書より)をして五十弦の瑟(おおごと)を鼓(かなでる)させ、悲しく、太帝が禁(さしとめる)じても止めなかったので、故(ゆえ)にその瑟(おおごと)を破(やぶ)って二十五弦に為さしめたのです」と。
於是塞南越禱祠太一后土始用樂舞益召歌兒作二十五弦及空侯琴瑟自此起
ここに於いて南越を塞(ふさ)ぎ、太一、后土(土地の神)を禱祠(とうし)し、始めるに楽舞を用い、益々(ますます)歌兒(歌う子供)を召し寄せ、二十五弦及び箜篌(くご ハーブに似た弦楽器)の琴(こと)瑟(しつ)を作るは、此れより起こった。