是時既滅兩越越人勇之乃言越人俗鬼而其祠皆見鬼數有效
この時、すでに二つの越を滅ぼし、越人の勇之がすなわち言った、「越人は鬼神に俗(ならう)し、しこうしてその祠(まつり)は皆(みな)鬼神に見(まみ)え、たびたび効(ききめ さずける)が有ります。
昔東甌王敬鬼壽百六十歲後世怠慢故衰秏
昔、東甌王が鬼神を敬(うやま)い、寿(長命)して百六十歳。後世は怠慢(たいまん)で故(ゆえ)に衰秏(衰え減る)しました」と。
乃令越巫立越祝祠安臺無壇亦祠天神上帝百鬼而以雞卜上信之越祠雞卜始用
そこで越の巫(かんなぎ)に令して越の祝祠を立させ、台に安んじて壇が無く、また天神、上帝、百鬼を祠(まつる)し、しこうして鶏卜いを以ってした。上(漢孝武帝劉徹)はこれを信じ、越の祠(まつり)の鶏卜が用いられ始めた。
公孫卿曰僊人可見而上往常遽以故不見
公孫卿曰く、「仙人は見(まみ)えることができますが、しこうして、上が往くは常(つね)に遽(あわただしい)しく、故(ゆえ)を以って見(まみ)えないのです。
今陛下可為觀如緱城置脯棗神人宜可致也且僊人好樓居
今、陛下は緱城の如(ごと)くの観(高楼)をつくるべきで、脯棗(干したなつめ?脯は通説では干し肉)を置けば、神人が宜(よろ)しく致(まねく)されることができるでしょう。まさに仙人は高楼に居することを好みます」と。
於是上令長安則作蜚廉桂觀甘泉則作益延壽觀使卿持節設具而候神人
ここに於いて上(漢孝武帝劉徹)は長安則に令して蜚廉桂観を作らせ、甘泉則に益延寿観を作らせ、公孫卿をして節を持たせ、具(ごちそう)を設(もう)けて神人を候(うかがう)させた。
乃作通天莖臺置祠具其下將招來僊神人之屬
そこで、通天莖台を作り、その下に祠具(まつりのごちそう)を置き、まさに仙神人の属を招来(しょうらい)せんとした。
於是甘泉更置前殿始廣諸宮室夏有芝生殿房內中
ここに於いて甘泉は更(さら)に前殿を置き、諸(もろもろ)の宮室を広げ始めた。夏、芝が殿の房(寝室)内の中に生えることが有った。
天子為塞河興通天臺若見有光云乃下詔
天子(漢孝武帝劉徹)は塞河(河をふさぐ)を為し、通天台を興(おこ)し、光の雲が有るを見るにおよんで、そこで詔(みことのり)を下して、
甘泉房中生芝九莖赦天下毋有復作
「甘泉の房(寝室)の中に芝が九莖(九本)生えたので、天下に赦(しゃ)し、ふたたび罪を作ることなかれ」と。
其明年伐朝鮮夏旱公孫卿曰黃帝時封則天旱乾封三年
その明くる年、朝鮮を討(う)った。夏、旱(日照り)になった。公孫卿曰く、「黄帝の時、封すると天が旱(日照り)になり、封(邦 領土)を乾(かわ)かすこと三年でした」と。
上乃下詔曰天旱意乾封乎其令天下尊祠靈星焉
上(漢孝武帝劉徹)はそこで詔(みことのり)を下して曰く、「天が旱(日照り)になった。意(いったい)封(邦 領土)を乾(かわ)かすのだろうか。その天下に令して霊星(雨をふらせる星)を尊祠(とうとびまつる)させよ」と。
この時、すでに二つの越を滅ぼし、越人の勇之がすなわち言った、「越人は鬼神に俗(ならう)し、しこうしてその祠(まつり)は皆(みな)鬼神に見(まみ)え、たびたび効(ききめ さずける)が有ります。
昔東甌王敬鬼壽百六十歲後世怠慢故衰秏
昔、東甌王が鬼神を敬(うやま)い、寿(長命)して百六十歳。後世は怠慢(たいまん)で故(ゆえ)に衰秏(衰え減る)しました」と。
乃令越巫立越祝祠安臺無壇亦祠天神上帝百鬼而以雞卜上信之越祠雞卜始用
そこで越の巫(かんなぎ)に令して越の祝祠を立させ、台に安んじて壇が無く、また天神、上帝、百鬼を祠(まつる)し、しこうして鶏卜いを以ってした。上(漢孝武帝劉徹)はこれを信じ、越の祠(まつり)の鶏卜が用いられ始めた。
公孫卿曰僊人可見而上往常遽以故不見
公孫卿曰く、「仙人は見(まみ)えることができますが、しこうして、上が往くは常(つね)に遽(あわただしい)しく、故(ゆえ)を以って見(まみ)えないのです。
今陛下可為觀如緱城置脯棗神人宜可致也且僊人好樓居
今、陛下は緱城の如(ごと)くの観(高楼)をつくるべきで、脯棗(干したなつめ?脯は通説では干し肉)を置けば、神人が宜(よろ)しく致(まねく)されることができるでしょう。まさに仙人は高楼に居することを好みます」と。
於是上令長安則作蜚廉桂觀甘泉則作益延壽觀使卿持節設具而候神人
ここに於いて上(漢孝武帝劉徹)は長安則に令して蜚廉桂観を作らせ、甘泉則に益延寿観を作らせ、公孫卿をして節を持たせ、具(ごちそう)を設(もう)けて神人を候(うかがう)させた。
乃作通天莖臺置祠具其下將招來僊神人之屬
そこで、通天莖台を作り、その下に祠具(まつりのごちそう)を置き、まさに仙神人の属を招来(しょうらい)せんとした。
於是甘泉更置前殿始廣諸宮室夏有芝生殿房內中
ここに於いて甘泉は更(さら)に前殿を置き、諸(もろもろ)の宮室を広げ始めた。夏、芝が殿の房(寝室)内の中に生えることが有った。
天子為塞河興通天臺若見有光云乃下詔
天子(漢孝武帝劉徹)は塞河(河をふさぐ)を為し、通天台を興(おこ)し、光の雲が有るを見るにおよんで、そこで詔(みことのり)を下して、
甘泉房中生芝九莖赦天下毋有復作
「甘泉の房(寝室)の中に芝が九莖(九本)生えたので、天下に赦(しゃ)し、ふたたび罪を作ることなかれ」と。
其明年伐朝鮮夏旱公孫卿曰黃帝時封則天旱乾封三年
その明くる年、朝鮮を討(う)った。夏、旱(日照り)になった。公孫卿曰く、「黄帝の時、封すると天が旱(日照り)になり、封(邦 領土)を乾(かわ)かすこと三年でした」と。
上乃下詔曰天旱意乾封乎其令天下尊祠靈星焉
上(漢孝武帝劉徹)はそこで詔(みことのり)を下して曰く、「天が旱(日照り)になった。意(いったい)封(邦 領土)を乾(かわ)かすのだろうか。その天下に令して霊星(雨をふらせる星)を尊祠(とうとびまつる)させよ」と。