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Channel: 倭人伝を解く
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夏漢改歷以正月為歲首

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夏漢改歷以正月為歲首而色上黃官名更印章以五字為太初元年

夏、漢は歴(こよみ)を改め、正月を以って歳首(年の初め)と為した。しこうして、色は黄色を上(とうとぶ)し、官名は印章を更(あらためる)して五字を以ってし、太初元年と為した。

是歲西伐大宛蝗大起丁夫人雒陽虞初等以方祠詛匈奴大宛焉

この歳、西に大宛を討(う)った。蝗(バッタ)が大いに発生した。丁夫人、雒陽の虞初らが方術を以って匈奴、大宛を祠詛(のろいまつる)した。

其明年有司上言雍五畤無牢熟具芬芳不備

その明くる年、有司(役人)が上言した、雍の五畤には牢熟具(いけにえの煮たごちそう)が無く、芬芳とよい香りが備わっておりません、と。

乃令祠官進畤犢牢具色食所勝而以木禺馬代駒焉

そこで、祠官に令して畤に犢牢具(子牛のいけにえのごちそう)を進めさせ、色は(五帝の色に)勝(つりあう かなう)つところに食(まつる)され、しこうして、木禺馬(木でつくった馬の人形)を以って駒(子馬)に代えた。

獨五月嘗駒行親郊用駒及諸名山川用駒者悉以木禺馬代

ただ五月の嘗駒(祭りの名?)は、行うにみずから駒(子馬)を用いて郊(天をまつる)した。諸(もろもろ)の名山川が駒(子馬)を用いるのは、ことごとく木禺馬(木でつくった馬の人形)を以って代えた。

行過乃用駒他禮如故

行きながら過(立ち寄る)すれば、すなわち駒(子馬)を用いた。他の礼は故(以前)の如(ごと)くした。

其明年東巡海上考神僊之屬未有驗者

その明くる年、東に海上を巡り、神仙の属を考えたが、未だ験(ききめ)の有った者はなかった。

方士有言黃帝時為五城十二樓以候神人於執期命曰迎年

方士のあるものが言った、「黄帝の時に五つの城、十二の楼をつくり、神人を執期(=終期? 一年の終わり?)に候(うかがう)するを以ってし、命名して曰く、迎年(年をむかえる)、と。

上許作之如方命曰明年上親禮祠上帝焉

上(漢孝武帝劉徹)は方術の如(ごと)くこれを作ることを許(聞き入れる)し、命名して曰く、明年(年を明ける)、と。上(漢孝武帝劉徹)はみずから上帝を礼祠したのである。

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