太史公曰吾如淮陰淮陰人為余言
太史公曰く、「吾(われ)は淮陰に行き、淮陰人がわたしの為(ため)に言った、
韓信雖為布衣時其志與眾異
韓信は官位の無かった時と雖(いえど)も、その志(こころざし)は衆人と異(こと)なっていた。
其母死貧無以葬然乃行營高敞地
その母が死んだとき、貧しく葬式を以ってすることが無かったが、然(しか)るに、高くてひろびろとした地に行って(墓を)営(いとな)み、
令其旁可置萬家余視其母冢良然
その傍(かたわ)らに一万戸を置くことができるようにした。わたしがその母の墓を視(み)ると、まことにその通りだった。
假令韓信學道謙讓不伐己功
仮(かり)に韓信に謙譲(けんじょう)の道を学ばせしめ、己(おのれ)の手柄(てがら)を誇(ほこ)らず、
不矜其能則庶幾哉於漢家勳可以比周召太公之徒
その能力におごらなければ、ほとんど近いであろうかな、漢家に於いて勲功(くんこう)は、周公旦(姫旦)、召公奭(姫奭)太公望呂尚の仲間たちと比(ひ)するを以ってすることができ、
後世血食矣不務出此而天下已集
後の世も宗廟(そうびょう)で祭られたであろうことは。(漢朝廷に)出仕(此=仕?)に務(つと)めず、しこうして、天下がすでにととのってから、
乃謀畔逆夷滅宗族不亦宜乎
そこで叛逆(はんぎゃく)を謀(はか)り、宗族(そうぞく)を絶滅されたのもなんともっともなことではないか」と。
今日で史記 淮陰侯列伝は終わりです。明日からは史記 韓信盧綰列伝に入ります。
太史公曰く、「吾(われ)は淮陰に行き、淮陰人がわたしの為(ため)に言った、
韓信雖為布衣時其志與眾異
韓信は官位の無かった時と雖(いえど)も、その志(こころざし)は衆人と異(こと)なっていた。
其母死貧無以葬然乃行營高敞地
その母が死んだとき、貧しく葬式を以ってすることが無かったが、然(しか)るに、高くてひろびろとした地に行って(墓を)営(いとな)み、
令其旁可置萬家余視其母冢良然
その傍(かたわ)らに一万戸を置くことができるようにした。わたしがその母の墓を視(み)ると、まことにその通りだった。
假令韓信學道謙讓不伐己功
仮(かり)に韓信に謙譲(けんじょう)の道を学ばせしめ、己(おのれ)の手柄(てがら)を誇(ほこ)らず、
不矜其能則庶幾哉於漢家勳可以比周召太公之徒
その能力におごらなければ、ほとんど近いであろうかな、漢家に於いて勲功(くんこう)は、周公旦(姫旦)、召公奭(姫奭)太公望呂尚の仲間たちと比(ひ)するを以ってすることができ、
後世血食矣不務出此而天下已集
後の世も宗廟(そうびょう)で祭られたであろうことは。(漢朝廷に)出仕(此=仕?)に務(つと)めず、しこうして、天下がすでにととのってから、
乃謀畔逆夷滅宗族不亦宜乎
そこで叛逆(はんぎゃく)を謀(はか)り、宗族(そうぞく)を絶滅されたのもなんともっともなことではないか」と。
今日で史記 淮陰侯列伝は終わりです。明日からは史記 韓信盧綰列伝に入ります。