韓王信者故韓襄王孽孫也長八尺五寸
韓王信という者は、旧韓の襄王韓倉の妾腹(めかけばら)の孫(まご)で、身長が八尺五寸あった。
及項梁之立楚後懷王也燕齊趙魏皆已前王
楚将項梁の楚の子孫の楚懐王熊心を立てるに及び、燕、斉、趙、魏は皆(みな)すでに前(さき)に王を立て、
唯韓無有後故立韓諸公子陽君成為韓王
ただ韓だけが後継を有(ゆう)することが無かったので、故(ゆえ)に韓の諸(もろもろ)の公子の横陽君韓成を立てて韓王と為し、
欲以撫定韓故地項梁敗死定陶成奔懷王
韓の故地(こち)を撫(な)で定(さだ)めるを以ってすることを欲した。楚将項梁は定陶で敗(やぶ)れて死に、韓王韓成は楚懐王熊心に奔走(ほんそう)した。
沛公引兵擊陽城使張良以韓司徒降下韓故地
沛公劉邦が兵を引いて陽城を撃(う)ち、張良をして韓の司徒(教育をつかさどる官)を以って降(くだ)させ、韓の故地(こち)を下(くだ)させた。
得信以為韓將將其兵從沛公入武關
韓信を得(え)て、韓将軍と為すを以ってし、その兵を率(ひき)いて沛公劉邦に従って武関に入った。
沛公立為漢王韓信從入漢中乃說漢王曰
沛公劉邦は立って漢王と為り、韓将韓信は従(したが)って漢中に入り、そこで漢王劉邦に説(と)いた、曰く、
項王王諸將近地而王獨遠居此
「項王(項羽)は諸(もろもろ)の将軍を近い土地で王にさせましたが、王(漢王劉邦)は一人遠くここに居住し、
此左遷也士卒皆山東人跂而望歸
これは左遷(させん)であります。士卒は皆(みな)山東人で、つま立ちして帰ることを望(のぞ)み、
及其鋒東鄉可以爭天下漢王還定三秦
その切っ先が東に向(むか)うに及べば、天下を争(あらそ)うを以ってすることができるでしょう」と。漢王劉邦は三秦を平定しに還(かえ)り、
乃許信為韓王先拜信為韓太尉將兵略韓地
そこで、韓信を韓王に為すことを約束して、先(さき)んじて韓信に官をさずけて韓の太尉と為し、兵を率(ひき)いて韓の地を略取させた。
項籍之封諸王皆就國韓王成以不從無功
項籍(項羽)の諸(もろもろ)の王を封ずるは皆(みな)国に就(つ)かせ、韓王韓成は、従わずに手柄が無いのを以って
不遣就國更以為列侯
国(韓)に就(つ)くよう遣(つか)わさず、改(あらた)めるに列侯と為すを以ってした。
及聞漢遣韓信略韓地
漢が韓太尉韓信を遣(つか)わして韓の地を略取させていることを聞くに及んで、
乃令故項籍游吳時吳令鄭昌為韓王以距漢
すなわち、以前項籍(項羽)が呉に遊んだ時の呉令鄭昌に令(れい)して韓王と為さしめ、漢と対峙(たいじ)するを以ってした。
韓王信という者は、旧韓の襄王韓倉の妾腹(めかけばら)の孫(まご)で、身長が八尺五寸あった。
及項梁之立楚後懷王也燕齊趙魏皆已前王
楚将項梁の楚の子孫の楚懐王熊心を立てるに及び、燕、斉、趙、魏は皆(みな)すでに前(さき)に王を立て、
唯韓無有後故立韓諸公子陽君成為韓王
ただ韓だけが後継を有(ゆう)することが無かったので、故(ゆえ)に韓の諸(もろもろ)の公子の横陽君韓成を立てて韓王と為し、
欲以撫定韓故地項梁敗死定陶成奔懷王
韓の故地(こち)を撫(な)で定(さだ)めるを以ってすることを欲した。楚将項梁は定陶で敗(やぶ)れて死に、韓王韓成は楚懐王熊心に奔走(ほんそう)した。
沛公引兵擊陽城使張良以韓司徒降下韓故地
沛公劉邦が兵を引いて陽城を撃(う)ち、張良をして韓の司徒(教育をつかさどる官)を以って降(くだ)させ、韓の故地(こち)を下(くだ)させた。
得信以為韓將將其兵從沛公入武關
韓信を得(え)て、韓将軍と為すを以ってし、その兵を率(ひき)いて沛公劉邦に従って武関に入った。
沛公立為漢王韓信從入漢中乃說漢王曰
沛公劉邦は立って漢王と為り、韓将韓信は従(したが)って漢中に入り、そこで漢王劉邦に説(と)いた、曰く、
項王王諸將近地而王獨遠居此
「項王(項羽)は諸(もろもろ)の将軍を近い土地で王にさせましたが、王(漢王劉邦)は一人遠くここに居住し、
此左遷也士卒皆山東人跂而望歸
これは左遷(させん)であります。士卒は皆(みな)山東人で、つま立ちして帰ることを望(のぞ)み、
及其鋒東鄉可以爭天下漢王還定三秦
その切っ先が東に向(むか)うに及べば、天下を争(あらそ)うを以ってすることができるでしょう」と。漢王劉邦は三秦を平定しに還(かえ)り、
乃許信為韓王先拜信為韓太尉將兵略韓地
そこで、韓信を韓王に為すことを約束して、先(さき)んじて韓信に官をさずけて韓の太尉と為し、兵を率(ひき)いて韓の地を略取させた。
項籍之封諸王皆就國韓王成以不從無功
項籍(項羽)の諸(もろもろ)の王を封ずるは皆(みな)国に就(つ)かせ、韓王韓成は、従わずに手柄が無いのを以って
不遣就國更以為列侯
国(韓)に就(つ)くよう遣(つか)わさず、改(あらた)めるに列侯と為すを以ってした。
及聞漢遣韓信略韓地
漢が韓太尉韓信を遣(つか)わして韓の地を略取させていることを聞くに及んで、
乃令故項籍游吳時吳令鄭昌為韓王以距漢
すなわち、以前項籍(項羽)が呉に遊んだ時の呉令鄭昌に令(れい)して韓王と為さしめ、漢と対峙(たいじ)するを以ってした。