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漢二年韓信略定韓十餘城

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漢二年韓信略定韓十餘城

漢二年、韓太尉韓信は韓の十余の城邑を略定した。

漢王至河南韓信急擊韓王昌陽城

漢王劉邦が河南に至り、韓太尉韓信は韓王鄭昌の陽城を急襲(きゅうしゅう)した。

昌降漢王乃立韓信為韓王常將韓兵從

韓王鄭昌は降(くだ)り、漢王劉邦はそこで韓太尉韓信を立てて韓王と為し、常(つね)に韓兵を率(ひき)いさせて従(したが)わせた。

三年漢王出滎陽韓王信周苛等守滎陽

漢三年、漢王劉邦は栄陽を出て、韓王韓信、漢御史大夫周苛らが栄陽を守った。

及楚敗滎陽信降楚已而得亡

楚が栄陽を敗(やぶ)るに及んで韓王韓信は楚に降(くだ)り、しばらくして逃げるを得(え)て、

復歸漢漢復立以為韓王竟從擊破項籍

ふたたび漢に帰属し、漢はふたたび立てて韓王と為すを以ってし、とうとう従って項籍(項羽)を撃(う)ち破(やぶ)り、

天下定五年春遂與剖符為韓王王潁川

天下は平定した。漢五年春、遂(つい)に剖符を与(あた)えて韓王と為し、潁川で王になった。

明年春上以韓信材武所王北近鞏洛

明くる年春、上(劉邦)は韓王韓信の才能が武勇で、統治するところが北に鞏、洛に近く、

南迫宛葉東有淮陽皆天下勁兵處

南に宛、葉に迫(せま)り、東に淮陽が有り、皆(みな)天下の強い兵士のいる処(ところ)を以って、

乃詔徙韓王信王太原以北備御胡都晉陽

すなわち、詔(みことのり)して韓王韓信を移(うつ)して、太原以北を統治させ、胡(匈奴)を防ぐに備(そな)えさせ、晋陽を都(みやこ)にした。

信上書曰國被邊匈奴數入

韓王韓信は上書して曰く、「国は匈奴がたびたび入って辺寇(へんこう)を被(こうむ)り、

晉陽去塞遠請治馬邑上許之

晋陽は国境地帯から遠く離(はな)れているので、馬邑で治(おさ)めることを請(こ)う」と。上(劉邦)はこれを聴き入れ、

信乃徙治馬邑秋匈奴冒頓大圍信

韓王韓信はそこで治(ち)を馬邑に移(うつ)した。秋、匈奴の冒頓が大いに韓王韓信を包囲(ほうい)した。

信數使使胡求和解漢發兵救之疑信數使有二心

韓王韓信はたびたび使者を胡(匈奴)につかわして和解(わかい)を求めた。漢がこれを救(すく)いに兵を発したが、韓王韓信がたびたびひそかに(匈奴に)使(つか)いして、二心が有るのではないかと疑(うたが)い、

使人責讓信信恐誅

人をして韓王韓信をせめとがめさせた。韓王韓信は誅(ちゅう)を恐れ、

因與匈奴約共攻漢反以馬邑降胡擊太原

因(よ)りて匈奴とともに約(やく)し、共(とも)に漢を攻(せ)めて、反(かえ)って、馬邑が胡(匈奴)に降(くだ)ったのを以って、太原を撃(う)った。

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