天下已平高祖乃令賈人不得衣絲乘車重租稅以困辱之
天下はすでに平かになり、漢高祖劉邦はそこで賈人(商人)に令して、絲(絹)を衣(着る)て車に乗ることを得さしめず、租税を重くしてこれを困辱(苦しめはずかしめる)するを以ってした。
孝惠高后時為天下初定復弛商賈之律然市井之子孫亦不得仕宦為吏
漢孝恵帝劉盈、漢高后呂雉の時、天下は定まったばかりのときと為し、ふたたび商賈(しょうこ あきんど)の律(法令)を弛(ゆる)めた。然(しか)るに市井(市肆? 市(いち)の店)の子孫はまた仕宦(官職につく)して吏(役人)に為ることは得られなかった。
量吏祿度官用以賦於民
吏禄(役人のふち)を量(はか)り、官の用(費用)を度(はかる)し、民に賦(税をとりたてる)すを以ってした。
而山川園池市井租稅之入自天子以至于封君湯沐邑皆各為私奉養焉不領於天下之經費
しこうして山川の園池(庭園や池)は市井(市肆? 市(いち)の店)の租税が入れられたが、天子より封君に至るを以ってする湯沐邑は、皆(みな)各(おのおの)私奉養(私的な奉養(父母や目上の人につかえて世話する))と為し、天下の経費(けいひ)より領(うけとる)さなかった。
漕轉山東粟以給中都官歲不過數十萬石
山東の粟(あわ)を漕転(船で物を運ぶことと車を転がすこと)するは、中都官に給(たま)わるを以ってし、歳(みのりの食糧)は数十万石に過ぎなかった。
天下はすでに平かになり、漢高祖劉邦はそこで賈人(商人)に令して、絲(絹)を衣(着る)て車に乗ることを得さしめず、租税を重くしてこれを困辱(苦しめはずかしめる)するを以ってした。
孝惠高后時為天下初定復弛商賈之律然市井之子孫亦不得仕宦為吏
漢孝恵帝劉盈、漢高后呂雉の時、天下は定まったばかりのときと為し、ふたたび商賈(しょうこ あきんど)の律(法令)を弛(ゆる)めた。然(しか)るに市井(市肆? 市(いち)の店)の子孫はまた仕宦(官職につく)して吏(役人)に為ることは得られなかった。
量吏祿度官用以賦於民
吏禄(役人のふち)を量(はか)り、官の用(費用)を度(はかる)し、民に賦(税をとりたてる)すを以ってした。
而山川園池市井租稅之入自天子以至于封君湯沐邑皆各為私奉養焉不領於天下之經費
しこうして山川の園池(庭園や池)は市井(市肆? 市(いち)の店)の租税が入れられたが、天子より封君に至るを以ってする湯沐邑は、皆(みな)各(おのおの)私奉養(私的な奉養(父母や目上の人につかえて世話する))と為し、天下の経費(けいひ)より領(うけとる)さなかった。
漕轉山東粟以給中都官歲不過數十萬石
山東の粟(あわ)を漕転(船で物を運ぶことと車を転がすこと)するは、中都官に給(たま)わるを以ってし、歳(みのりの食糧)は数十万石に過ぎなかった。