其明年淮南衡山江都王謀反跡見
その明くる年、淮南、衡山、江都王の謀反(むほん)の跡(あと)が見(あら)われ、
而公卿尋端治之竟其黨與
しこうして、公、卿は端(発端)を尋(たず)ねてこれを治(とりしらべる)し、その党与(組をつくっているなかま)を竟(きわめる)し、
而坐死者數萬人長吏益慘急而法令明察
しこうして連座して死罪になった者は数万人、長吏は益々(ますます)惨急(無慈悲できびしい)になって、法令は明察(あきらかでつまびらか)になった。
當是之時招尊方正賢良文學之士或至公卿大夫
ちょうどこの時、方正で賢良の文学の士を招(まね)き尊(とうと)び、或(あ)るものは公、卿、大夫に至(いた)った。
公孫弘以漢相布被食不重味為天下先
公孫弘は漢相となるを以って、布被(質素な生活をさす)で、食事は味を重んじず、天下の先(てびきする)を為した。
然無益於俗稍騖於功利矣
然(しか)るに俗(ぞく)に於いては無益(むえき)で、稍(次第に)に功利に於いて騖(おごる)っていったのである。
その明くる年、淮南、衡山、江都王の謀反(むほん)の跡(あと)が見(あら)われ、
而公卿尋端治之竟其黨與
しこうして、公、卿は端(発端)を尋(たず)ねてこれを治(とりしらべる)し、その党与(組をつくっているなかま)を竟(きわめる)し、
而坐死者數萬人長吏益慘急而法令明察
しこうして連座して死罪になった者は数万人、長吏は益々(ますます)惨急(無慈悲できびしい)になって、法令は明察(あきらかでつまびらか)になった。
當是之時招尊方正賢良文學之士或至公卿大夫
ちょうどこの時、方正で賢良の文学の士を招(まね)き尊(とうと)び、或(あ)るものは公、卿、大夫に至(いた)った。
公孫弘以漢相布被食不重味為天下先
公孫弘は漢相となるを以って、布被(質素な生活をさす)で、食事は味を重んじず、天下の先(てびきする)を為した。
然無益於俗稍騖於功利矣
然(しか)るに俗(ぞく)に於いては無益(むえき)で、稍(次第に)に功利に於いて騖(おごる)っていったのである。