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Channel: 倭人伝を解く
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其後番系欲省底柱之漕

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其後番系欲省底柱之漕穿汾河渠以為溉田作者數萬人

その後、河東守番系が底柱(砥柱)の漕(船で物を運ぶ)を省(かえり)みて、汾、河の渠(ほりわり)を穿(うが)って、溉田(田を灌漑する)するを以ってすることを欲し、作業者は数万人。

鄭當時為渭漕渠回遠鑿直渠自長安至華陰作者數萬人

大農鄭当時は渭の漕渠(船で物を運ぶほりわり)は回り遠いと為し、直渠(まっすぐのほりわり)を長安から華陰に至るまで鑿(うがつ)し、作業者は数万人。

朔方亦穿渠作者數萬人

朔方もまた渠(ほりわり)を穿(うが)ち、作業者は数万人。

各歷二三期功未就費亦各巨萬十數

各(おのおの)二、三期(二、三年)を歷(すぎる)しても、功(工事)は未(ま)だ成就せず、費用もまた各(おのおの)巨万十数。

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