天子為伐胡盛養馬馬之來食長安者數萬匹
天子(漢孝武帝劉徹)は胡(匈奴)を伐(討つ)するために、馬を盛んに養い、馬の長安に食べに来るものは数万頭、
卒牽掌者關中不足乃調旁近郡
卒(にわかに)に牽掌(思いのままにひっぱる)者が関中には不足して、そこで傍(かたわ)らの近郡に調(とりたてて調整する)べた。
而胡降者皆衣食縣官縣官不給
しこうして、胡降者(匈奴の降服した者)は皆(みな)県官に衣食をあおいだが、県官は給(たまう)さなかった。
天子乃損膳解乘輿駟出御府禁藏以贍之
天子(漢孝武帝劉徹)はそこで膳(ぜん)を損(少なくする)し、輿駟(四頭立馬車の輿(こし))に乗ることを解(なくす)き、御府(天子の倉)の禁蔵(しまっておく)を出してこれに贍(物をあたえて助ける)するを以ってした。
天子(漢孝武帝劉徹)は胡(匈奴)を伐(討つ)するために、馬を盛んに養い、馬の長安に食べに来るものは数万頭、
卒牽掌者關中不足乃調旁近郡
卒(にわかに)に牽掌(思いのままにひっぱる)者が関中には不足して、そこで傍(かたわ)らの近郡に調(とりたてて調整する)べた。
而胡降者皆衣食縣官縣官不給
しこうして、胡降者(匈奴の降服した者)は皆(みな)県官に衣食をあおいだが、県官は給(たまう)さなかった。
天子乃損膳解乘輿駟出御府禁藏以贍之
天子(漢孝武帝劉徹)はそこで膳(ぜん)を損(少なくする)し、輿駟(四頭立馬車の輿(こし))に乗ることを解(なくす)き、御府(天子の倉)の禁蔵(しまっておく)を出してこれに贍(物をあたえて助ける)するを以ってした。