於是天子與公卿議更錢造幣以贍用
ここに於いて天子(漢孝武帝劉徹)は公、卿とともに議(ぎ)し、銭(金属の貨幣)を更(あらためる)にし、幣(ぜに)を造(つく)り贍用(多く用いる)を以ってし、
而摧浮淫并兼之徒
しこうして、浮淫(行いが軽薄であること)、并兼(道理を知らずよこしま? 并=蔽? 兼=険?)の徒(なかま)を摧(くだく)した。
是時禁苑有白鹿而少府多銀錫
この時、禁苑には白い鹿が有り、しこうして、少府には銀、錫(すず)が多かった。
自孝文更造四銖錢至是歲四十餘年從建元以來用少
漢孝文帝劉恒より更(あらためる)に四銖銭を造(つく)り、この年に至って四十余年、建元年間以来より、費用は少なく、
縣官往往即多銅山而鑄錢民亦盜鑄錢不可勝數
県官は往々(おうおう)にしてすなわち銅山が多くして銭を鋳(い)て、民もまたひそかに盗み見て銭を鋳(い)るは、すべて数えあげることはできない。
錢益多而輕物益少而貴
銭はますます多くなって軽(ねうちがない)くなり、物はますます少なくなって貴(値段が高い)くなっていった。
ここに於いて天子(漢孝武帝劉徹)は公、卿とともに議(ぎ)し、銭(金属の貨幣)を更(あらためる)にし、幣(ぜに)を造(つく)り贍用(多く用いる)を以ってし、
而摧浮淫并兼之徒
しこうして、浮淫(行いが軽薄であること)、并兼(道理を知らずよこしま? 并=蔽? 兼=険?)の徒(なかま)を摧(くだく)した。
是時禁苑有白鹿而少府多銀錫
この時、禁苑には白い鹿が有り、しこうして、少府には銀、錫(すず)が多かった。
自孝文更造四銖錢至是歲四十餘年從建元以來用少
漢孝文帝劉恒より更(あらためる)に四銖銭を造(つく)り、この年に至って四十余年、建元年間以来より、費用は少なく、
縣官往往即多銅山而鑄錢民亦盜鑄錢不可勝數
県官は往々(おうおう)にしてすなわち銅山が多くして銭を鋳(い)て、民もまたひそかに盗み見て銭を鋳(い)るは、すべて数えあげることはできない。
錢益多而輕物益少而貴
銭はますます多くなって軽(ねうちがない)くなり、物はますます少なくなって貴(値段が高い)くなっていった。