於是以東郭咸陽孔僅為大農丞領鹽鐵事
ここに於いて東郭咸陽、孔僅を以って大農丞と為し、塩鉄事を領(つかさどる)させ、
桑弘羊以計算用事侍中
桑弘羊は計算を以って事に用いられ侍中になった。
咸陽齊之大煮鹽孔僅南陽大冶
東郭咸陽は斉の大煮塩者(製塩業)で、孔僅は南陽の大冶(鍛冶職)者で、
皆致生累千金故鄭當時進言之
皆(みな)千金を累(つみかさねる)するを生ずるに致(なしとげる)り、故(ゆえ)に大農鄭当時がこれを進言したのである。
弘羊雒陽賈人子以心計年十三侍中
桑弘羊は雒陽の賈人の子で、心計(暗算)を以って、年十三才で侍中になった。
故三人言利事析秋豪矣
故(ゆえ)に三人が利事を言うは秋豪(秋毫 秋になり、細かくなって見えにくい獣の毛)を析(わける)した。
法既益嚴吏多廢免兵革數動
法は既(もはや)に益々(ますます)厳(きび)しくなり、吏(役人)の多くが廃免(免職にする)した。兵革(戦争)がたびたび動き、
民多買復及五大夫徵發之士益鮮
民は武功爵(復(ぶ)=武(ぶ)?)を買って五大夫に及ぶものが多く、徴発(ちょうはつ)の士が益々(ますます)鮮(少ない)した。
於是除千夫五大夫為吏不欲者出馬
ここに於いて(武功爵の)千夫の五大夫を除(のぞ)いて吏(役人)と為さしめ、欲さない者には馬を出させた。
ここに於いて東郭咸陽、孔僅を以って大農丞と為し、塩鉄事を領(つかさどる)させ、
桑弘羊以計算用事侍中
桑弘羊は計算を以って事に用いられ侍中になった。
咸陽齊之大煮鹽孔僅南陽大冶
東郭咸陽は斉の大煮塩者(製塩業)で、孔僅は南陽の大冶(鍛冶職)者で、
皆致生累千金故鄭當時進言之
皆(みな)千金を累(つみかさねる)するを生ずるに致(なしとげる)り、故(ゆえ)に大農鄭当時がこれを進言したのである。
弘羊雒陽賈人子以心計年十三侍中
桑弘羊は雒陽の賈人の子で、心計(暗算)を以って、年十三才で侍中になった。
故三人言利事析秋豪矣
故(ゆえ)に三人が利事を言うは秋豪(秋毫 秋になり、細かくなって見えにくい獣の毛)を析(わける)した。
法既益嚴吏多廢免兵革數動
法は既(もはや)に益々(ますます)厳(きび)しくなり、吏(役人)の多くが廃免(免職にする)した。兵革(戦争)がたびたび動き、
民多買復及五大夫徵發之士益鮮
民は武功爵(復(ぶ)=武(ぶ)?)を買って五大夫に及ぶものが多く、徴発(ちょうはつ)の士が益々(ますます)鮮(少ない)した。
於是除千夫五大夫為吏不欲者出馬
ここに於いて(武功爵の)千夫の五大夫を除(のぞ)いて吏(役人)と為さしめ、欲さない者には馬を出させた。