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Channel: 倭人伝を解く
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益廣關置左右輔

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益廣關置左右輔

益々(ますます)関を広め、左右輔を置いた。

初大農筦鹽鐵官布多置水衡欲以主鹽鐵

初(以前)、大農が塩鉄を筦(つかさどる)し、官布(官の銭)は多くなり、水衡を於いて、塩鉄を主(つかさどる)することを欲し、

及楊可告緡錢上林財物眾乃令水衡主上林

楊可の告緡錢に及んで、上林の財物が衆(多い)し、そこで、水衡に令して上林を主(つかさどる)させた。

上林既充滿益廣

上林は既(まもなく)に充満(じゅうまん)し、益々(ますます)広くなった。

是時越欲與漢用船戰逐

この時、越が漢と船を用いて戦逐(戦いおいはらう)しよう欲したので、

乃大修昆明池列觀環之

そこで、大いに(上林の)昆明池を修(ととのえる)し、列観(ならびつらなる遠望台)がこれに環(めぐる)された。

治樓船高十餘丈旗幟加其上甚壯

楼船を治(ととのえる)め、高さは十余丈、旗幟(はたじるし)がその上に加えられ、甚(はなは)だ壮(りっぱ)であった。

於是天子感之乃作柏梁臺高數十丈

ここに於いて天子(漢孝武帝劉徹)はこれに感心して、そこで柏梁台を作り、高さ数十丈であった。

宮室之修由此日麗

宮室の修(ととのえる)は、此れ由(よ)り日に日に麗(はなやか)していった。

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