卜式持錢二十萬予河南守以給徙民
卜式持錢二十萬予河南守以給徙民 卜式は銭二十万を持って河南守にあたえ、徙民(移民)に給するを以ってした。 河南上富人助貧人者籍天子見卜式名識之 河南上の富人の貧人を助けた者の籍(せき)で、天子(漢孝武帝劉徹)が卜式の名を見て、これに識(おぼえ)があり、 曰是固前而欲輸其家半助邊乃賜式外繇四百人...
View Article初式不願為郎
初式不願為郎上曰吾有羊上林中欲令子牧之 初(以前)、卜式は郎(官名)に為ることを願わなかった。上(漢孝武帝劉徹)曰く、「吾(われ)は、上林の中に羊を有する。子(なんじ)にこれを放牧させることを欲する」と。 式乃拜為郎布衣屩而牧羊歲餘羊肥息 卜式はそこで拝(官をさずける)されて郎(官名)に為り、布衣(普段着)、屩(わらぐつ)にして羊を放牧した。一年余りして、羊は肥(こ)えて息(ふえる)した。...
View Article而孔僅之使天下鑄作器
而孔僅之使天下鑄作器三年中拜為大農列於九卿 しこうして孔僅の天下をして器を鋳作させるは、三年の中(うち)に拝(官をさずける)されて大農に為り、九卿に列した。 而桑弘羊為大農丞筦諸會計事稍稍置均輸以通貨物矣 しこうして、桑弘羊は大農丞に為り、諸(もろもろ)の会計事を筦(つかさどる)し、稍稍としだいに均輸(きんゆ)を置いて、貨物を通(かよ)わせるを以ってしたのである。 始令吏得入穀補官郎至六百石...
View Article自造白金五銖錢後五歲
自造白金五銖錢後五歲 白金、五銖錢を造ってより後五年、 赦吏民之坐盜鑄金錢死者數十萬人 吏、民の盜鑄金銭(金銭を不正に鋳る)に坐(罪をとわれる)した死刑者数十万人を赦(ゆるす)した。 其不發覺相殺者不可勝計 その発覚せずに相殺(そうさい)した者は、すべて計(かぞえる)することができない。 赦自出者百餘萬人 自ら出た自首)者百余万人を赦(ゆるす)した。 然不能半自出天下大抵無慮皆鑄金錢矣...
View Article犯者眾吏不能盡誅取
犯者眾吏不能盡誅取於是遣博士褚大 犯した者は衆(多い)し、吏(役人)は尽(ことごと)く誅(ちゅう)し取ることができず、ここに於いて博士褚大、 徐偃等分曹循行郡國舉兼并之徒守相為(吏)[利]者 徐偃らを遣(つか)わし、分曹(なかまを分ける)して郡国を循行(めぐりあるく)し、兼并(道理を知らずよこしま? 并=蔽? 兼=険?)の徒(なかま)、守(郡守)、相(大臣)の利(り)を為す者を挙(あ)げさせた。
View Article而御史大夫張湯
而御史大夫張湯方隆貴用事減宣杜周等為中丞 しこうして御史大夫張湯はまさに隆貴(りゅうき 身分がたいへんたっといこと)して事に用いられ、減宣、杜周らは中丞に為り、 義縱尹齊王溫舒等用慘急刻深為九卿而直指夏蘭之屬始出矣 義縱、尹斉、王温舒らは惨急刻深(無慈悲できびしい)を用いて九卿に為り、しこうして直指の夏蘭の属が出始めたのである。
View Article而大農顏異誅
而大農顏異誅初異為濟南亭長以廉直稍遷至九卿 しこうして、大農の顔異が誅(ちゅう)された。初(以前)、顔異は済南の亭長と為り、廉直(れんちょく)を以って稍(次第に)遷(うつ)って九卿に至った。 上與張湯既造白鹿皮幣問異 上(漢孝武帝劉徹)が御史大夫張湯と既(すで)に白鹿の皮幣を造(つく)り、大農顔異に問うた。 異曰今王侯朝賀以蒼璧直數千...
View Article張湯又與異有卻
張湯又與異有卻及有人告異以它議事下張湯治異 御史大夫張湯もまた大農顔異と有卻(仲たがいする)し、人が顔異を告げるに他議を以ってするものが有るに及んで、事は御史大夫張湯に下されて大農顔異を治(取り調べる)した。 異與客語客語初令下有不便者異不應微反脣 顔異が客と語り、客の話しは令が下されたばかりのときには不便が有るというもので、大農顔異は応(こた)えず、微(かすかに)脣(くちびる)を反(そ)らせた。...
View Article天子既下緡錢令而尊卜式
天子既下緡錢令而尊卜式 天子(漢孝武帝劉徹)はすでに緡錢令を下(くだ)し、しこうして卜式を尊んだ。 百姓終莫分財佐縣官於是(楊可)告緡錢縱矣 百姓は終いには財(ざい)を分けて県官を補佐するものはなく、ここに於いて楊可の告緡銭が縦(はなたれる)された。 郡國多姦鑄錢錢多輕而公卿請令京師鑄鐘官赤側...
View Article是歲也張湯死而民不思
是歲也張湯死而民不思 この年は、御史大夫張湯が死んだが、民は思(悲しむ)わなかった。 其後二歲赤側錢賤民巧法用之不便又廢 その後二年、赤側銭は賤(さげすむ にくむ)され、民は法を巧(いつわる)してこれを用いたが不便で、また廃(すた)れた。 於是悉禁郡國無鑄錢專令上林三官鑄 ここに於いてことごとく郡国に禁じて鋳銭を無くし、専(もっぱ)ら、上林の三官に令して鋳(い)させた。 錢既多而令天下非三官錢不得行...
View Article卜式相齊
卜式相齊而楊可告緡遍天下中家以上大抵皆遇告 卜式は斉を相(補佐)し、しこうして楊可の告緡は天下に遍(あまね)くし、中家以上は大抵(たいてい)皆(みな)告緡に遇(あう)した。 杜周治之獄少反者 杜周がこれを治(おさ)め、獄(裁判)は反(ひるがえる)する者が少なかった。 乃分遣御史廷尉正監分曹往即治郡國緡錢...
View Article益廣關置左右輔
益廣關置左右輔 益々(ますます)関を広め、左右輔を置いた。 初大農筦鹽鐵官布多置水衡欲以主鹽鐵 初(以前)、大農が塩鉄を筦(つかさどる)し、官布(官の銭)は多くなり、水衡を於いて、塩鉄を主(つかさどる)することを欲し、 及楊可告緡錢上林財物眾乃令水衡主上林 楊可の告緡錢に及んで、上林の財物が衆(多い)し、そこで、水衡に令して上林を主(つかさどる)させた。 上林既充滿益廣...
View Article乃分緡錢諸官
乃分緡錢諸官而水衡少府大農太仆各置農官 そこで、緡錢を諸(もろもろ)の官に分けて、しこうして、水衡、少府、大農、太僕は各(おのおの)農官を置き、 往往即郡縣比沒入田田之 往々(おうおう ときどき)にして即(すなわ)ち郡県が田を没入(没収)するに比(およぶ)すると、これを田(たがやす)した。 其沒入奴婢分諸苑養狗馬禽獸及與諸官...
View Article所忠言
所忠言世家子弟富人或鬬雞走狗馬 所忠が言った、「世家(代々、禄を受ける家柄)の子弟、富人の或(あ)るものは、闘鶏(とうけい)、走狗馬(犬、馬を競争させる)し、 弋獵博戲亂齊民 弋猟(いぐるみの猟)、博戲(博打)をし、細民を乱しています」と。 乃徵諸犯令相引數千人命曰株送徒 そこで、諸(もろもろ)の令を犯したものを徴(とりたてる)し、相(つぎつぎ)と引かれること数千人、命名して曰く、「株送徒」と。...
View Article江南火耕水耨
江南火耕水耨令饑民得流就食江淮欲留留處 「江南は火耕(焼畑?)、水耨(水田?)で、饑民(うえた民)に令して江、淮の間に流(移る)し就職(食=職?)を得さしめ、留(とど)まることを欲すれば、処(ところ)に留(とど)まらせよ」と。 遣使冠蓋相屬於道護之下巴蜀粟以振之...
View Article既得寶鼎
既得寶鼎立后土太一祠公卿議封禪事 既(すで)に宝鼎を得て、后土(おそらくカノープス)、太一(おそらくシリウス)の祠(ほこら)を立て、公、卿は封禅の事を議(ぎ)し、 而天下郡國皆豫治道橋繕故宮 しこうして天下の郡国は皆(みな)豫(あらかじめ)、道、橋を治(おさ)め、故(古い)宮を繕(つくろ)い、 及當馳道縣縣治官儲設供具而望以待幸 及び、馳道に当たる県は、県が官除(官の祭壇...
View Article初置張掖酒泉郡
初置張掖酒泉郡而上郡朔方西河河西開田官斥塞卒六十萬人戍田之 張掖、酒泉郡を置きはじめたばかりのとき、しこうして、上郡、朔方、西河、河西の開田の官、斥塞(とりで)の卒(兵)六十万人がこれを戍田(国境警備と耕作)した。 中國繕道餽糧遠者三千近者千餘里皆仰給大農...
View Article齊相卜式上書
齊相卜式上書曰臣聞主憂臣辱南越反 斉相卜式は上書して曰く、「わたしは聞きます、主(あるじ)の憂(うれ)いは臣下の辱(はずかし)め、と。南越が叛(そむ)き、 臣願父子與齊習船者往死之天子下詔曰 わたしは願います、父と子は斉の船に習熟した者とともに往きこれに死することを」と。天子(漢孝武帝劉徹)は詔(みことのり)を下して曰く、 卜式雖躬耕牧不以為利有餘輒助縣官之用...
View Article至酎少府省金
至酎少府省金而列侯坐酎金失侯者百餘人 酎(祭祀名)に至り、少府は金を省(かえり)みて、しこうして、列侯は酎金に坐(罪をとわれる)して侯を失った者は百余人。 乃拜式為御史大夫 そこで卜式に拝(官をさずける)して御史大夫と為さしめた。 式既在位見郡國多不便縣官作鹽鐵鐵器苦惡賈貴或彊令民賣買之...
View Article漢連兵三歲
漢連兵三歲誅羌滅南越番禺以西至蜀南者置初郡十七且以其故俗治毋賦稅 漢が兵を連(つら)ねて三年、羌を誅(ちゅう)し、南越を滅ぼし、番禺以西から蜀の南に至るまでは初郡(できたばかりの郡)十七を置き、まさにその故(古い)の俗を以って治(おさ)め、税と取り立てることはなかった。 南陽漢中以往郡各以地比給初郡吏卒奉食幣物傳車馬被具...
View Article