既得寶鼎立后土太一祠公卿議封禪事
既(すで)に宝鼎を得て、后土(おそらくカノープス)、太一(おそらくシリウス)の祠(ほこら)を立て、公、卿は封禅の事を議(ぎ)し、
而天下郡國皆豫治道橋繕故宮
しこうして天下の郡国は皆(みな)豫(あらかじめ)、道、橋を治(おさ)め、故(古い)宮を繕(つくろ)い、
及當馳道縣縣治官儲設供具而望以待幸
及び、馳道に当たる県は、県が官除(官の祭壇 儲(ちょ)=除(ちょ)?)を治め、供(そな)えものの具(ごちそう)を設(もう)けて、望(祭る)し、(天子の)行幸を待(ま)つを以ってした。
其明年南越反西羌侵邊為桀
その明くる年、南越が叛(そむ)き、西羌が辺境を侵(おか)して桀(あらあらしい)に為った。
於是天子為山東不贍赦天下[囚]
ここに於いて天子(漢孝武帝劉徹)は山東は贍(じゅうぶんである)ではないと為し、天下に赦(罪や過ちをゆるす)した。
因南方樓船卒二十餘萬人擊南越
因(よ)りて南方の樓船の卒(兵)二十余万人が南越を撃(う)ち、
數萬人發三河以西騎擊西羌又數萬人度河筑令居
数万人が三河以西に発されて西羌を騎(馬に乗る)して撃(う)った。また数万人が河を渡り令居を築(きず)いた。
既(すで)に宝鼎を得て、后土(おそらくカノープス)、太一(おそらくシリウス)の祠(ほこら)を立て、公、卿は封禅の事を議(ぎ)し、
而天下郡國皆豫治道橋繕故宮
しこうして天下の郡国は皆(みな)豫(あらかじめ)、道、橋を治(おさ)め、故(古い)宮を繕(つくろ)い、
及當馳道縣縣治官儲設供具而望以待幸
及び、馳道に当たる県は、県が官除(官の祭壇 儲(ちょ)=除(ちょ)?)を治め、供(そな)えものの具(ごちそう)を設(もう)けて、望(祭る)し、(天子の)行幸を待(ま)つを以ってした。
其明年南越反西羌侵邊為桀
その明くる年、南越が叛(そむ)き、西羌が辺境を侵(おか)して桀(あらあらしい)に為った。
於是天子為山東不贍赦天下[囚]
ここに於いて天子(漢孝武帝劉徹)は山東は贍(じゅうぶんである)ではないと為し、天下に赦(罪や過ちをゆるす)した。
因南方樓船卒二十餘萬人擊南越
因(よ)りて南方の樓船の卒(兵)二十余万人が南越を撃(う)ち、
數萬人發三河以西騎擊西羌又數萬人度河筑令居
数万人が三河以西に発されて西羌を騎(馬に乗る)して撃(う)った。また数万人が河を渡り令居を築(きず)いた。