漢五年冬以破項籍乃使盧綰別將
漢五年冬、項籍(項羽)を破(やぶ)るを以って、すなわち漢太尉長安侯盧綰をして率(ひき)いるを別(わ)けさせ、
與劉賈擊臨江王共尉破之
漢将劉賈とともに臨江王共尉(楚義帝熊心の相国共敖の子)を撃(う)ち、これを破(やぶ)った。
七月還從擊燕王臧荼臧荼降
漢五年七月、還(かえ)り、燕王臧荼(もと燕将)を撃(う)ちに従(したが)い、燕王臧荼は降(くだ)った。
高祖已定天下諸侯非劉氏而王者七人
漢高祖劉邦がすでに天下を平定し、諸侯の劉氏でなくして王になった者は七人。
欲王盧綰為群臣觖望及虜臧荼
漢太尉長安侯盧綰を王にしようと欲し、群臣に願い望んだ。燕王臧荼を虜(とりこ)にするに及(およ)んで、
乃下詔諸將相列侯擇群臣有功者以為燕王
すなわち、詔(みことのり)を諸将、大臣、列侯に下(くだ)し、群臣の功(こう)有る者を択(えら)んで、燕王と為すを以ってした。
群臣知上欲王盧綰皆言曰
群臣は上(劉邦)が漢太尉長安侯盧綰を王にしたいと欲しているのを知り、皆(みな)言った、曰く、
太尉長安侯盧綰常從平定天下
「太尉長安侯盧綰は常(つね)に従(したが)って天下を平定し、
功最多可王燕詔許之
功績は最も多く、燕で王となるべきです」と。詔(みことのり)してこれを聴き入れた。
漢五年八月乃立虜綰為燕王
漢五年八月、すなわち漢太尉長安侯盧綰を立てて燕王と為した。
諸侯王得幸莫如燕王
諸侯王で寵愛を得(え)るは燕王盧綰に及ぶ者はなかった。
漢十一年秋陳豨反代地高祖如邯鄲擊豨兵
漢十一年秋、(鉅鹿守(趙地)の)陳豨が代(趙地)の地で叛(そむ)き、漢高祖劉邦)は邯鄲に行って鉅鹿守陳豨兵を撃(う)ち、
燕王綰亦擊其東北當是時陳豨使王黃求救匈奴
燕王盧綰もまたその(代の)東北を撃(う)った。ちょうどこの時、鉅鹿守陳豨は王黄をつかわし匈奴に
救援を求(もと)めさせた。
燕王綰亦使其臣張勝於匈奴言豨等軍破
燕王盧綰もまたその臣下の張勝を匈奴につかわし、鉅鹿守陳豨らの軍は破(やぶ)れたと言わせた。
張勝至胡故燕王臧茶子衍出亡在胡
張勝が胡(匈奴)に至ると、前の燕王臧茶の子の臧衍が国外に出て逃亡し胡(匈奴)に在(あ)り、
見張勝曰公所以重於燕者以習胡事也
燕使者張勝に見(まみ)えて曰く、「公(張勝)が燕に於いて重んぜられている理由とは、胡(匈奴)の事に習熟しているからである。
燕所以久存者以諸侯數反兵連不決也
燕が久しく存(ながら)えている理由とは、諸侯がたびたび叛(そむ)くのを以って戦いがうちつづいて決しないからである。
今公為燕欲急滅豨等豨等已盡次亦至燕
今、公が燕の為(ため)に急いで鉅鹿守陳豨らを滅ぼそうと欲し、鉅鹿守陳豨がすでに尽(つ)くされれば、次(つぎ)もまた燕に至り、
公等亦且為虜矣公何不令燕且緩陳豨而與胡和
公らもまたまさに虜(とりこ)に為らんとするだろう。公(張勝)はどうして燕に、まさに鉅鹿守陳豨に緩(ゆる)めて胡(匈奴)と和さんとすることを令(れい)さないのですか?
事得長王燕即有漢急可以安國
事がゆるやかになれば、長く燕を統治することを得て、すなわち、漢に急(さしせまり)を有(ゆう)させて、国を安(やす)んずるを以ってすることができるのです」と。
張勝以為然豨私令匈奴助豨等擊燕
燕使者張勝はその通りだと思った。鉅鹿守陳豨はひそかに匈奴に鉅鹿守陳豨らを助けて燕を撃(う)つよう令(れい)した。
燕王綰疑張勝與胡反上書請族張勝
燕王盧綰は燕使者張勝が胡(匈奴)とともに謀反(むほん)したと疑(うたが)い、上書して燕使者張勝を族刑にすることを請(こ)うた。
勝還具道所以為者燕王寤乃詐論它人
燕使者張勝が(燕に)還(かえ)って、つぶさに為すを以ってしたところのものを語(かた)った。
燕王盧綰はさとった。そこで、偽(いつわ)って他の人に罪を定めて、
脫勝家屬使得為匈奴
張勝家属を(刑から)まぬかれさせ、匈奴の間者(かんじゃ)と為ることを得(え)さしめた。
而陰使范齊之陳豨所欲令久亡連兵勿決
しこうして、ひそかに范斉をつかわし鉅鹿守陳豨の所に行かせ、久しく逃げて戦いをうちつづけて決することがないように令(れい)しようと欲した。
漢五年冬、項籍(項羽)を破(やぶ)るを以って、すなわち漢太尉長安侯盧綰をして率(ひき)いるを別(わ)けさせ、
與劉賈擊臨江王共尉破之
漢将劉賈とともに臨江王共尉(楚義帝熊心の相国共敖の子)を撃(う)ち、これを破(やぶ)った。
七月還從擊燕王臧荼臧荼降
漢五年七月、還(かえ)り、燕王臧荼(もと燕将)を撃(う)ちに従(したが)い、燕王臧荼は降(くだ)った。
高祖已定天下諸侯非劉氏而王者七人
漢高祖劉邦がすでに天下を平定し、諸侯の劉氏でなくして王になった者は七人。
欲王盧綰為群臣觖望及虜臧荼
漢太尉長安侯盧綰を王にしようと欲し、群臣に願い望んだ。燕王臧荼を虜(とりこ)にするに及(およ)んで、
乃下詔諸將相列侯擇群臣有功者以為燕王
すなわち、詔(みことのり)を諸将、大臣、列侯に下(くだ)し、群臣の功(こう)有る者を択(えら)んで、燕王と為すを以ってした。
群臣知上欲王盧綰皆言曰
群臣は上(劉邦)が漢太尉長安侯盧綰を王にしたいと欲しているのを知り、皆(みな)言った、曰く、
太尉長安侯盧綰常從平定天下
「太尉長安侯盧綰は常(つね)に従(したが)って天下を平定し、
功最多可王燕詔許之
功績は最も多く、燕で王となるべきです」と。詔(みことのり)してこれを聴き入れた。
漢五年八月乃立虜綰為燕王
漢五年八月、すなわち漢太尉長安侯盧綰を立てて燕王と為した。
諸侯王得幸莫如燕王
諸侯王で寵愛を得(え)るは燕王盧綰に及ぶ者はなかった。
漢十一年秋陳豨反代地高祖如邯鄲擊豨兵
漢十一年秋、(鉅鹿守(趙地)の)陳豨が代(趙地)の地で叛(そむ)き、漢高祖劉邦)は邯鄲に行って鉅鹿守陳豨兵を撃(う)ち、
燕王綰亦擊其東北當是時陳豨使王黃求救匈奴
燕王盧綰もまたその(代の)東北を撃(う)った。ちょうどこの時、鉅鹿守陳豨は王黄をつかわし匈奴に
救援を求(もと)めさせた。
燕王綰亦使其臣張勝於匈奴言豨等軍破
燕王盧綰もまたその臣下の張勝を匈奴につかわし、鉅鹿守陳豨らの軍は破(やぶ)れたと言わせた。
張勝至胡故燕王臧茶子衍出亡在胡
張勝が胡(匈奴)に至ると、前の燕王臧茶の子の臧衍が国外に出て逃亡し胡(匈奴)に在(あ)り、
見張勝曰公所以重於燕者以習胡事也
燕使者張勝に見(まみ)えて曰く、「公(張勝)が燕に於いて重んぜられている理由とは、胡(匈奴)の事に習熟しているからである。
燕所以久存者以諸侯數反兵連不決也
燕が久しく存(ながら)えている理由とは、諸侯がたびたび叛(そむ)くのを以って戦いがうちつづいて決しないからである。
今公為燕欲急滅豨等豨等已盡次亦至燕
今、公が燕の為(ため)に急いで鉅鹿守陳豨らを滅ぼそうと欲し、鉅鹿守陳豨がすでに尽(つ)くされれば、次(つぎ)もまた燕に至り、
公等亦且為虜矣公何不令燕且緩陳豨而與胡和
公らもまたまさに虜(とりこ)に為らんとするだろう。公(張勝)はどうして燕に、まさに鉅鹿守陳豨に緩(ゆる)めて胡(匈奴)と和さんとすることを令(れい)さないのですか?
事得長王燕即有漢急可以安國
事がゆるやかになれば、長く燕を統治することを得て、すなわち、漢に急(さしせまり)を有(ゆう)させて、国を安(やす)んずるを以ってすることができるのです」と。
張勝以為然豨私令匈奴助豨等擊燕
燕使者張勝はその通りだと思った。鉅鹿守陳豨はひそかに匈奴に鉅鹿守陳豨らを助けて燕を撃(う)つよう令(れい)した。
燕王綰疑張勝與胡反上書請族張勝
燕王盧綰は燕使者張勝が胡(匈奴)とともに謀反(むほん)したと疑(うたが)い、上書して燕使者張勝を族刑にすることを請(こ)うた。
勝還具道所以為者燕王寤乃詐論它人
燕使者張勝が(燕に)還(かえ)って、つぶさに為すを以ってしたところのものを語(かた)った。
燕王盧綰はさとった。そこで、偽(いつわ)って他の人に罪を定めて、
脫勝家屬使得為匈奴
張勝家属を(刑から)まぬかれさせ、匈奴の間者(かんじゃ)と為ることを得(え)さしめた。
而陰使范齊之陳豨所欲令久亡連兵勿決
しこうして、ひそかに范斉をつかわし鉅鹿守陳豨の所に行かせ、久しく逃げて戦いをうちつづけて決することがないように令(れい)しようと欲した。