東五百里曰漆吳之山無草木多博石無玉
東へ五百里(一里150m換算で約75km)、曰く、漆呉の山と。草木が無く、白石(博石=白石?)が多く、玉(宝石)は無い。
處于海東望丘山其光載出載入是惟日次
海に処(ところ)して、東に丘山を望み、その光(太陽、月、星を指す)の出るを載(文書に記録する)せ、入るを載(文書に記録する)せ、ここに日次(ひどりの順次)を惟(かんがえる)した。
凡《南次二經》之首自柜山至于漆吳之山凡十七山七千二百里
凡(およ)そ南次二経の首(依拠する もとづく)は柜山より漆呉の山に至るまで、凡(およ)そ十七の山で、七千二百里(一里150m換算で約1080km)。
其神狀皆龍身而鳥首
その神の状(かたち)は皆(みな)龍の身(からだ)に鳥の首(あたま)で、
其祠毛用一璧瘞糈用稌
その祠(まつる)は、望(まつる 毛(もう)=望(もう)?)するに璧英(玉英 瘞(えい)=英(えい)?)を用い、糈(神に供える白米)には、稌米(もち米(もち粟))を用いた。
東へ五百里(一里150m換算で約75km)、曰く、漆呉の山と。草木が無く、白石(博石=白石?)が多く、玉(宝石)は無い。
處于海東望丘山其光載出載入是惟日次
海に処(ところ)して、東に丘山を望み、その光(太陽、月、星を指す)の出るを載(文書に記録する)せ、入るを載(文書に記録する)せ、ここに日次(ひどりの順次)を惟(かんがえる)した。
凡《南次二經》之首自柜山至于漆吳之山凡十七山七千二百里
凡(およ)そ南次二経の首(依拠する もとづく)は柜山より漆呉の山に至るまで、凡(およ)そ十七の山で、七千二百里(一里150m換算で約1080km)。
其神狀皆龍身而鳥首
その神の状(かたち)は皆(みな)龍の身(からだ)に鳥の首(あたま)で、
其祠毛用一璧瘞糈用稌
その祠(まつる)は、望(まつる 毛(もう)=望(もう)?)するに璧英(玉英 瘞(えい)=英(えい)?)を用い、糈(神に供える白米)には、稌米(もち米(もち粟))を用いた。