四人謁上謾罵曰豎子能為將乎
四人が謁見(えっけん)すると、上(劉邦)はあなどり罵(ののし)って曰く、「小僧らは将軍に為ることができるのか?」と。
四人慚伏上封之各千戶以為將
四人は恥じ入って伏(ふ)した。上(劉邦)はこれに各(おのおの)一千戸を封じ将軍と為すを以ってした。
左右諫曰從入蜀漢伐楚
左右の者は諌(いさ)めて曰く、「蜀、漢に入ってより、楚を討(う)ち、
功未遍行今此何功而封
功績(こうせき)は未(いま)だ遍(あまね)く行き渡っておらず、今、ここに何の功にして封ずるのですか?」と。
上曰非若所知陳豨反
上(劉邦)曰く、「なんじらの関知する所ではない。陳豨が謀反(むほん)し、
邯鄲以北皆豨有吾以羽檄徵天下兵
邯鄲(趙の都)以北は皆(みな)陳豨が有(ゆう)し、吾(われ)が羽檄(至急の命令文)を以って天下の兵を徴集(ちょうしゅう)するに、
未有至者今唯獨邯鄲中兵耳
未(ま)だ至ったことがないのは、今、ただ一つ邯鄲中の兵のみ。
吾胡愛四千戶封四人不以慰趙子弟
吾(われ)がどうして四人に封ずる四千戸を惜(お)しみ、趙の子弟を慰(なぐさ)めるを以ってしないだろうか」と。
皆曰善於是上曰
皆(みな)曰く、「わかりました」と。ここに於いて上(うえ)曰く、
陳豨將誰曰王黃曼丘臣
「陳豨は誰(だれ)を将軍にしているのか?」と。曰く、「王黄、曼丘臣で、
皆故賈人上曰吾知之矣
皆(みな)以前は商人でした」と。上(劉邦)曰く、「吾(われ)はこれを理解した」と。
乃各以千金購黃臣等
すなわち各(おのおの)千金を以って王黄、曼丘臣らを購(あがな)おうとした。
十一年冬漢兵擊斬陳豨將侯敞王黃於曲逆下
漢十一年冬、漢兵は陳豨將の侯敞、王黄軍を曲逆の下(もと)で撃(う)ち斬り、
破豨將張春於聊城斬首萬餘
陳豨將の張春を聊城に於いて破(やぶ)り、万余の首を斬った。
太尉勃入定太原代地十二月
漢太尉周勃は太原、代の地に入って平定した。漢十一年十二月、
上自擊東垣東垣不下卒罵上東垣降
上(劉邦)は自(みずか)ら東垣を撃(う)ったが、東垣は下(くだ)らず、歩兵が上(劉邦)を罵(ののし)った。東垣が降(くだ)ると、
卒罵者斬之不罵者黥之更命東垣為真定
歩兵の罵(ののし)った者は斬られ、罵(ののし)らなかった者は黥刑にした。東垣を改(あらた)めて命名し真定と為した。
王黃曼丘臣其麾下受購賞之
陳豨將王黄、陳豨將曼丘臣はその旗(はた)の下(もと)でこれを賞する購(あがな)いをさずかり、
皆生得以故陳豨軍遂敗
皆(みな)生きるを得て、故(ゆえ)を以って陳豨軍は遂(つい)に敗(やぶ)れるを以ってした。
四人が謁見(えっけん)すると、上(劉邦)はあなどり罵(ののし)って曰く、「小僧らは将軍に為ることができるのか?」と。
四人慚伏上封之各千戶以為將
四人は恥じ入って伏(ふ)した。上(劉邦)はこれに各(おのおの)一千戸を封じ将軍と為すを以ってした。
左右諫曰從入蜀漢伐楚
左右の者は諌(いさ)めて曰く、「蜀、漢に入ってより、楚を討(う)ち、
功未遍行今此何功而封
功績(こうせき)は未(いま)だ遍(あまね)く行き渡っておらず、今、ここに何の功にして封ずるのですか?」と。
上曰非若所知陳豨反
上(劉邦)曰く、「なんじらの関知する所ではない。陳豨が謀反(むほん)し、
邯鄲以北皆豨有吾以羽檄徵天下兵
邯鄲(趙の都)以北は皆(みな)陳豨が有(ゆう)し、吾(われ)が羽檄(至急の命令文)を以って天下の兵を徴集(ちょうしゅう)するに、
未有至者今唯獨邯鄲中兵耳
未(ま)だ至ったことがないのは、今、ただ一つ邯鄲中の兵のみ。
吾胡愛四千戶封四人不以慰趙子弟
吾(われ)がどうして四人に封ずる四千戸を惜(お)しみ、趙の子弟を慰(なぐさ)めるを以ってしないだろうか」と。
皆曰善於是上曰
皆(みな)曰く、「わかりました」と。ここに於いて上(うえ)曰く、
陳豨將誰曰王黃曼丘臣
「陳豨は誰(だれ)を将軍にしているのか?」と。曰く、「王黄、曼丘臣で、
皆故賈人上曰吾知之矣
皆(みな)以前は商人でした」と。上(劉邦)曰く、「吾(われ)はこれを理解した」と。
乃各以千金購黃臣等
すなわち各(おのおの)千金を以って王黄、曼丘臣らを購(あがな)おうとした。
十一年冬漢兵擊斬陳豨將侯敞王黃於曲逆下
漢十一年冬、漢兵は陳豨將の侯敞、王黄軍を曲逆の下(もと)で撃(う)ち斬り、
破豨將張春於聊城斬首萬餘
陳豨將の張春を聊城に於いて破(やぶ)り、万余の首を斬った。
太尉勃入定太原代地十二月
漢太尉周勃は太原、代の地に入って平定した。漢十一年十二月、
上自擊東垣東垣不下卒罵上東垣降
上(劉邦)は自(みずか)ら東垣を撃(う)ったが、東垣は下(くだ)らず、歩兵が上(劉邦)を罵(ののし)った。東垣が降(くだ)ると、
卒罵者斬之不罵者黥之更命東垣為真定
歩兵の罵(ののし)った者は斬られ、罵(ののし)らなかった者は黥刑にした。東垣を改(あらた)めて命名し真定と為した。
王黃曼丘臣其麾下受購賞之
陳豨將王黄、陳豨將曼丘臣はその旗(はた)の下(もと)でこれを賞する購(あがな)いをさずかり、
皆生得以故陳豨軍遂敗
皆(みな)生きるを得て、故(ゆえ)を以って陳豨軍は遂(つい)に敗(やぶ)れるを以ってした。