上還至洛陽上曰代居常山北趙乃從山南有之遠
上(劉邦)は還(かえ)り洛陽に至った。上(劉邦)曰く、「代は常山の北に居(お)り、趙はすなわち
山の南よりこれに有り、遠い」と。
乃立子恒為代王都中都代鴈門皆屬代
そこで子の劉恒を立てて代王と為し、中都を都とし、代、鴈門は皆(みな)代に属(ぞく)した。
高祖十二年冬樊噲軍卒追斬豨於靈丘
漢高祖十二年冬、漢樊噲軍はとうとう追いかけて陳豨を霊丘で斬った。
太史公曰韓信盧綰非素積累善之世
太史公曰く、「韓信(韓王信)、盧綰は素(もと)より代々に徳を積(つ)み善を累積(るいせき)していたのではなく、
徼一時權變以詐力成功遭漢初定
一時の権力の変化をうかがい、詐謀(さぼう)の力を以って成功し、漢が平定したばかりの時に遭(あ)い、
故得列地南面稱孤
故(ゆえ)に地を裂(さ)くことを得て、南面して孤(王侯の自称)を称した。
內見疑彊大外倚蠻貊以為援
内(うち)に強大を疑われる目にあい、外(そと)に夷貊をたよって援(たす)けと為すを以ってし、
是以日疏自危事窮智困卒赴匈奴豈不哀哉
ここに、日に日に疎(うと)んぜられるを以ってみずからを危(あや)うくし、事が窮(きゅう)し、智(ち)がゆきづまり、とうとう匈奴に赴(おもむ)いた。どうして哀(かな)しまないであろうかな。
陳豨梁人其少時數稱慕魏公子
陳豨は梁の人で、その少年時、たびたび魏公子(信陵君魏無忌)を慕(した)い称(たた)えた。
及將軍守邊招致賓客而下士名聲過實
軍を率(ひき)いて辺境を守るに及んで、賓客(ひんきゃく)を招致(しょうち)して士にへりくだり、
名声は実力を越(こ)えた。
周昌疑之疵瑕頗起懼禍及身
周昌がこれを疑い、(陳豨の)過失(かしつ)が頗(すこぶ)る起(お)こると、(陳豨は)禍(わざわい)が身に及ぶことを懼(おそ)れた。
邪人進說遂陷無道於戲悲夫
よこしまな人が説(せつ)を進め、遂(つい)に無道(むどう)に陥(おちい)った。ああ、悲しいかな。
夫計之生孰成敗於人也深矣
それ、計(はか)りごとの人に於いて成功、敗亡のいずれかを生(しょう)ずるのは、奥深いことである」と。
今日で史記 韓信盧綰列伝は終わりです。明日からは史記 田儋列伝に入ります。
上(劉邦)は還(かえ)り洛陽に至った。上(劉邦)曰く、「代は常山の北に居(お)り、趙はすなわち
山の南よりこれに有り、遠い」と。
乃立子恒為代王都中都代鴈門皆屬代
そこで子の劉恒を立てて代王と為し、中都を都とし、代、鴈門は皆(みな)代に属(ぞく)した。
高祖十二年冬樊噲軍卒追斬豨於靈丘
漢高祖十二年冬、漢樊噲軍はとうとう追いかけて陳豨を霊丘で斬った。
太史公曰韓信盧綰非素積累善之世
太史公曰く、「韓信(韓王信)、盧綰は素(もと)より代々に徳を積(つ)み善を累積(るいせき)していたのではなく、
徼一時權變以詐力成功遭漢初定
一時の権力の変化をうかがい、詐謀(さぼう)の力を以って成功し、漢が平定したばかりの時に遭(あ)い、
故得列地南面稱孤
故(ゆえ)に地を裂(さ)くことを得て、南面して孤(王侯の自称)を称した。
內見疑彊大外倚蠻貊以為援
内(うち)に強大を疑われる目にあい、外(そと)に夷貊をたよって援(たす)けと為すを以ってし、
是以日疏自危事窮智困卒赴匈奴豈不哀哉
ここに、日に日に疎(うと)んぜられるを以ってみずからを危(あや)うくし、事が窮(きゅう)し、智(ち)がゆきづまり、とうとう匈奴に赴(おもむ)いた。どうして哀(かな)しまないであろうかな。
陳豨梁人其少時數稱慕魏公子
陳豨は梁の人で、その少年時、たびたび魏公子(信陵君魏無忌)を慕(した)い称(たた)えた。
及將軍守邊招致賓客而下士名聲過實
軍を率(ひき)いて辺境を守るに及んで、賓客(ひんきゃく)を招致(しょうち)して士にへりくだり、
名声は実力を越(こ)えた。
周昌疑之疵瑕頗起懼禍及身
周昌がこれを疑い、(陳豨の)過失(かしつ)が頗(すこぶ)る起(お)こると、(陳豨は)禍(わざわい)が身に及ぶことを懼(おそ)れた。
邪人進說遂陷無道於戲悲夫
よこしまな人が説(せつ)を進め、遂(つい)に無道(むどう)に陥(おちい)った。ああ、悲しいかな。
夫計之生孰成敗於人也深矣
それ、計(はか)りごとの人に於いて成功、敗亡のいずれかを生(しょう)ずるのは、奥深いことである」と。
今日で史記 韓信盧綰列伝は終わりです。明日からは史記 田儋列伝に入ります。