田儋者狄人也故齊王田氏族也
田儋という者は狄人であり、前の斉王田氏の一族である。
儋從弟田榮榮弟田皆豪宗彊能得人
田儋の年下のいとこの田栄、、田栄の弟の田横は皆(みな)豪傑(ごうけつ)で、宗族(そうぞく)は強く、人望(じんぼう)を得ることができた。
陳涉之初起王楚也使周市略定魏地
陳涉の楚に王となって立ち上がったばかりのときに、周市(魏の人)をつかわし魏の地を略取し平定させた。
北至狄狄城守田儋詳為縛其奴
北に狄に至ると、狄城は守った。田儋は偽(いつわ)ってその下男を縛(しば)り、
從少年之廷欲謁殺奴
(狄の)少年たちをつれて法廷に行き、(狄令に)謁見(えっけん)して下男を殺すことを欲した。
見狄令因擊殺令而召豪吏子弟曰
狄令に見(まみ)えると、因(よ)りて狄令を撃(う)ち殺し、しこうして豪吏(ごうり)の子弟(してい)を召して、曰く、
諸侯皆反秦自立齊古之建國
「諸侯は皆(みな)秦に叛(そむ)き自立した。斉は古(いにしえ)の建国で、
儋田氏當王遂自立為齊王
わたしは田氏であり、当然王になるべきだ」と。遂(つい)に自(みずか)ら立って斉王と為った。
發兵以擊周市周市軍還去
兵を発して張楚将周市を撃(う)つを以ってした。張楚将周市軍は還(かえ)り去った。
田儋因率兵東略定齊地
斉王田儋は因(よ)りて兵を率(ひき)いて東に斉の地を略定した。
秦將章邯圍魏王咎於臨濟急
秦将章邯は魏王魏咎を臨済(魏の都)に於いて包囲し、さしせまらせた。
魏王請救於齊齊王田儋將兵救魏
魏王魏咎は斉に救援を請(こ)い、斉王田儋は兵を率(ひき)いて魏を救援した。
章邯夜銜枚擊大破齊魏軍
秦将章邯は夜、枚(昔、夜、敵を攻めるとき声を出さないように兵士の口にくわえさせた
細長い木)をくわえさせて撃(う)ち、斉軍、魏軍を大破(たいは)し、
殺田儋於臨濟下
斉王田儋を臨済(魏の都)の下(もと)で殺した。
儋弟田榮收儋餘兵東走東阿
斉王田儋のいとこの田栄が斉王田儋の残った兵を収(おさ)めて東に東阿に走った。
田儋という者は狄人であり、前の斉王田氏の一族である。
儋從弟田榮榮弟田皆豪宗彊能得人
田儋の年下のいとこの田栄、、田栄の弟の田横は皆(みな)豪傑(ごうけつ)で、宗族(そうぞく)は強く、人望(じんぼう)を得ることができた。
陳涉之初起王楚也使周市略定魏地
陳涉の楚に王となって立ち上がったばかりのときに、周市(魏の人)をつかわし魏の地を略取し平定させた。
北至狄狄城守田儋詳為縛其奴
北に狄に至ると、狄城は守った。田儋は偽(いつわ)ってその下男を縛(しば)り、
從少年之廷欲謁殺奴
(狄の)少年たちをつれて法廷に行き、(狄令に)謁見(えっけん)して下男を殺すことを欲した。
見狄令因擊殺令而召豪吏子弟曰
狄令に見(まみ)えると、因(よ)りて狄令を撃(う)ち殺し、しこうして豪吏(ごうり)の子弟(してい)を召して、曰く、
諸侯皆反秦自立齊古之建國
「諸侯は皆(みな)秦に叛(そむ)き自立した。斉は古(いにしえ)の建国で、
儋田氏當王遂自立為齊王
わたしは田氏であり、当然王になるべきだ」と。遂(つい)に自(みずか)ら立って斉王と為った。
發兵以擊周市周市軍還去
兵を発して張楚将周市を撃(う)つを以ってした。張楚将周市軍は還(かえ)り去った。
田儋因率兵東略定齊地
斉王田儋は因(よ)りて兵を率(ひき)いて東に斉の地を略定した。
秦將章邯圍魏王咎於臨濟急
秦将章邯は魏王魏咎を臨済(魏の都)に於いて包囲し、さしせまらせた。
魏王請救於齊齊王田儋將兵救魏
魏王魏咎は斉に救援を請(こ)い、斉王田儋は兵を率(ひき)いて魏を救援した。
章邯夜銜枚擊大破齊魏軍
秦将章邯は夜、枚(昔、夜、敵を攻めるとき声を出さないように兵士の口にくわえさせた
細長い木)をくわえさせて撃(う)ち、斉軍、魏軍を大破(たいは)し、
殺田儋於臨濟下
斉王田儋を臨済(魏の都)の下(もと)で殺した。
儋弟田榮收儋餘兵東走東阿
斉王田儋のいとこの田栄が斉王田儋の残った兵を収(おさ)めて東に東阿に走った。