田榮之走東阿章邯追圍之
斉将田栄の東阿に逃走するは、秦将章邯が追いかけてこれを包囲した。
項梁聞田榮之急乃引兵擊破章邯軍東阿下
楚将項梁は斉将田栄の急(さしせまり)を聞き、そこで、兵を引いて秦将章邯軍を東阿の下(もと)で撃(う)ち破(やぶ)った。
章邯走而西項梁因追之
秦将章邯は逃走して西へ進み、楚将項梁は因(よ)りてこれを追いかけた。
而田榮怒齊之立假乃引兵歸擊逐齊王假
しこうして、斉将田栄は斉の田仮を(王に)立てたことを怒(おこ)り、そこで、兵を引いて(斉に)帰り、斉王田仮を撃(う)ち追い払った。
假亡走楚齊相角亡走趙
斉王田仮は楚に逃げ走った。斉相の田角は趙に逃げ走った。
角弟田前求救趙因留不敢歸
斉相田角の弟の田間は前(さき)に、趙に救(すく)いを求(もと)めていたので、因(よ)りて留(とど)まって(斉に)敢(あ)えて帰らなかった。
田榮乃立田儋子市為齊王
斉将田栄はそこで、(先々の斉王の)田儋の子(こ)の田市を立てて斉王と為した。
榮相之田為將平齊地
斉将田栄は斉相になり、田横(田栄の弟)は将軍に為り、斉の地を平定した。
項梁既追章邯章邯兵益盛
楚将項梁がすでに秦将章邯に追いつくと、秦将章邯兵はますます盛んになり、
項梁使使告趙齊發兵共擊章邯
楚将項梁は使者をつかわして、趙、斉に兵を発して共(とも)に秦将章邯を撃(う)つよう告(つ)げさせた。
田榮曰使楚殺田假
斉相田栄曰く、「楚をして(先の斉王)田仮を殺さしめ、
趙殺田角田肯出兵
趙をして(先の斉相)田角、(田角の弟)田間を殺さしめれば、ひそかに出兵を承知しましょう」と。
楚懷王曰田假與國之王
楚懐王熊心は曰く、「(先の斉王)田仮は与国(同盟国)の王で、
窮而歸我殺之不義
窮(きゅう)して我(われ)に帰属したので、これを殺すのは不義(ふぎ)だ」と。
趙亦不殺田角田以市於齊
趙(趙王趙歇)もまた(先の斉相)田角、(田角の弟の)田間を殺して斉に於いてさらそうとはしなかった。
齊曰蝮螫手則斬手螫足則斬足何者
斉曰く、「まむしが手をさせば、手を斬り、足をさせば、足を斬る。どうしてかというと、
為害於身也今田假田角田於楚趙
身(み)に害(がい)を為すからである。今、田仮、田角、田間の楚、趙に於いては、
非直手足戚也何故不殺
手足(てあし)を真っ直ぐにせずにちぢこまっているときであり、何故(なにゆえ)に殺さないのか?
且秦復得志於天下則齮龁用事者墳墓矣
まさに秦がふたたび天下に志(こころざし)を得(え)れば、事に用(もち)いられた者の墳墓(ふんぼ)を噛(か)みきり食(く)らうことだろうに」と。
楚趙不聽齊亦怒終不肯出兵
楚、趙は聴き入れなかった。斉もまた怒(おこ)り、とうとう出兵を承知しなかった。
章邯果敗殺項梁破楚兵楚兵東走
秦将章邯は果(は)たして楚将項梁を敗(やぶ)り殺し、楚兵を破(やぶ)った。楚兵は東へ逃走した。
而章邯渡河圍趙於鉅鹿
しこうして、秦将章邯は河を渡って趙(趙王趙歇)を鉅鹿に於いて包囲した。
項羽往救趙由此怨田榮
楚上将項羽が趙を救援に往(ゆ)き、これに由(よ)り斉相田栄を怨(うら)んだ。
斉将田栄の東阿に逃走するは、秦将章邯が追いかけてこれを包囲した。
項梁聞田榮之急乃引兵擊破章邯軍東阿下
楚将項梁は斉将田栄の急(さしせまり)を聞き、そこで、兵を引いて秦将章邯軍を東阿の下(もと)で撃(う)ち破(やぶ)った。
章邯走而西項梁因追之
秦将章邯は逃走して西へ進み、楚将項梁は因(よ)りてこれを追いかけた。
而田榮怒齊之立假乃引兵歸擊逐齊王假
しこうして、斉将田栄は斉の田仮を(王に)立てたことを怒(おこ)り、そこで、兵を引いて(斉に)帰り、斉王田仮を撃(う)ち追い払った。
假亡走楚齊相角亡走趙
斉王田仮は楚に逃げ走った。斉相の田角は趙に逃げ走った。
角弟田前求救趙因留不敢歸
斉相田角の弟の田間は前(さき)に、趙に救(すく)いを求(もと)めていたので、因(よ)りて留(とど)まって(斉に)敢(あ)えて帰らなかった。
田榮乃立田儋子市為齊王
斉将田栄はそこで、(先々の斉王の)田儋の子(こ)の田市を立てて斉王と為した。
榮相之田為將平齊地
斉将田栄は斉相になり、田横(田栄の弟)は将軍に為り、斉の地を平定した。
項梁既追章邯章邯兵益盛
楚将項梁がすでに秦将章邯に追いつくと、秦将章邯兵はますます盛んになり、
項梁使使告趙齊發兵共擊章邯
楚将項梁は使者をつかわして、趙、斉に兵を発して共(とも)に秦将章邯を撃(う)つよう告(つ)げさせた。
田榮曰使楚殺田假
斉相田栄曰く、「楚をして(先の斉王)田仮を殺さしめ、
趙殺田角田肯出兵
趙をして(先の斉相)田角、(田角の弟)田間を殺さしめれば、ひそかに出兵を承知しましょう」と。
楚懷王曰田假與國之王
楚懐王熊心は曰く、「(先の斉王)田仮は与国(同盟国)の王で、
窮而歸我殺之不義
窮(きゅう)して我(われ)に帰属したので、これを殺すのは不義(ふぎ)だ」と。
趙亦不殺田角田以市於齊
趙(趙王趙歇)もまた(先の斉相)田角、(田角の弟の)田間を殺して斉に於いてさらそうとはしなかった。
齊曰蝮螫手則斬手螫足則斬足何者
斉曰く、「まむしが手をさせば、手を斬り、足をさせば、足を斬る。どうしてかというと、
為害於身也今田假田角田於楚趙
身(み)に害(がい)を為すからである。今、田仮、田角、田間の楚、趙に於いては、
非直手足戚也何故不殺
手足(てあし)を真っ直ぐにせずにちぢこまっているときであり、何故(なにゆえ)に殺さないのか?
且秦復得志於天下則齮龁用事者墳墓矣
まさに秦がふたたび天下に志(こころざし)を得(え)れば、事に用(もち)いられた者の墳墓(ふんぼ)を噛(か)みきり食(く)らうことだろうに」と。
楚趙不聽齊亦怒終不肯出兵
楚、趙は聴き入れなかった。斉もまた怒(おこ)り、とうとう出兵を承知しなかった。
章邯果敗殺項梁破楚兵楚兵東走
秦将章邯は果(は)たして楚将項梁を敗(やぶ)り殺し、楚兵を破(やぶ)った。楚兵は東へ逃走した。
而章邯渡河圍趙於鉅鹿
しこうして、秦将章邯は河を渡って趙(趙王趙歇)を鉅鹿に於いて包囲した。
項羽往救趙由此怨田榮
楚上将項羽が趙を救援に往(ゆ)き、これに由(よ)り斉相田栄を怨(うら)んだ。