西南四百里曰崑崙之丘是實惟帝之下都神陸吾司之
西南へ四百里(一里150m換算で約60km)、曰く、崑崙の丘と。ここは蚩尤帝(音から蚩尤(黄帝時代の諸侯名)と書けて、実惟=蚩尤?)の下都(黄帝に下された都?)で、神の陸吾がこれを司(つかさど)る。
其神狀虎身而九尾人面而虎爪
その神の状(かたち)は虎(とら)のような身(からだ)にして虺尾(まむしのようなしましま模様のしっぽ 九(きゅう)=虺(き)?)で、人のような面(かお)にして虎(とら)のような爪(つめ)で、
是神也司天之九部及帝之囿時
これが神であり、天の球圃(まるい畑 九(きゅう)=球(きゅう)? 部(ほ)=圃(ほ)?) 及び帝の囿地(時(じ)=地(じ)?)を司(つかさど)る。(神陸吾の状はトラ?)
有獸焉其狀如羊而四角名曰土螻是食人
獣が有って、その状(かたち)は羊(やぎ)の如(ごと)くにして櫛角(くしのような角 四(し)=櫛(しつ)?)で、名は土螻(音から大鹿と書ける)と。これは人を襲う(食=襲?)。(おそらくヘラジカ?)
有鳥焉其狀如蜂大如鴛鴦
鳥が有って、その状(かたち)は蜂(はち)の如(ごと)くで、大きいものは鴛鴦(おしどり)の如(ごと)くで、
名曰欽原蠚鳥獸則死蠚木則枯
名は曰く、欽原と。鳥獣を蠚(さす)すれば死に、木を蠚(さす)すれば枯(か)れる。(おそらく鴆(ちん)という羽に毒がある鳥のことで、ズグロモリモズ?)
西南へ四百里(一里150m換算で約60km)、曰く、崑崙の丘と。ここは蚩尤帝(音から蚩尤(黄帝時代の諸侯名)と書けて、実惟=蚩尤?)の下都(黄帝に下された都?)で、神の陸吾がこれを司(つかさど)る。
其神狀虎身而九尾人面而虎爪
その神の状(かたち)は虎(とら)のような身(からだ)にして虺尾(まむしのようなしましま模様のしっぽ 九(きゅう)=虺(き)?)で、人のような面(かお)にして虎(とら)のような爪(つめ)で、
是神也司天之九部及帝之囿時
これが神であり、天の球圃(まるい畑 九(きゅう)=球(きゅう)? 部(ほ)=圃(ほ)?) 及び帝の囿地(時(じ)=地(じ)?)を司(つかさど)る。(神陸吾の状はトラ?)
有獸焉其狀如羊而四角名曰土螻是食人
獣が有って、その状(かたち)は羊(やぎ)の如(ごと)くにして櫛角(くしのような角 四(し)=櫛(しつ)?)で、名は土螻(音から大鹿と書ける)と。これは人を襲う(食=襲?)。(おそらくヘラジカ?)
有鳥焉其狀如蜂大如鴛鴦
鳥が有って、その状(かたち)は蜂(はち)の如(ごと)くで、大きいものは鴛鴦(おしどり)の如(ごと)くで、
名曰欽原蠚鳥獸則死蠚木則枯
名は曰く、欽原と。鳥獣を蠚(さす)すれば死に、木を蠚(さす)すれば枯(か)れる。(おそらく鴆(ちん)という羽に毒がある鳥のことで、ズグロモリモズ?)