既葬二客穿其冢旁孔皆自剄下從之
既(すで)に葬(ほうむ)りおわり、二人の賓客はその墓塚の傍(かたわ)らに孔(あな)を穿(うが)ち、皆(みな)自ら首をかき斬って、これに従(したが)って下泉(かせん)した。
高帝聞之乃大驚大田之客皆賢
漢高帝劉邦はこれを聞き、すなわち、大田横の賓客は皆(みな)賢人だと大いに驚(おどろ)いた。
吾聞其餘尚五百人在海中使使召之
吾(われ)はその残りが尚(なお)五百人、海の中にいると聞く、と。使者をつかわしこれを召(め)し寄せさせた。
至則聞田死亦皆自殺
至ってすぐに田横の死を聞き、また皆(みな)自殺した。
於是乃知田兄弟能得士也
ここに於いて、すなわち、田横の兄弟は士(し)を得ることがりっぱにできていたのだと知ったのである。
太史公曰甚矣蒯通之謀
太史公曰く、「甚(はなは)だしいことだ、蒯通の謀(はか)りごとは。
亂齊驕淮陰其卒亡此兩人
斉を乱(みだ)し淮陰侯韓信を驕(おご)らせ、そのとうとうこの両人(韓信、田横)を亡(ほろ)ぼした。
蒯通者善為長短說論戰國之權變
蒯通という者は優劣(ゆうれつ)を為して説(と)くのにすぐれ、戦国の権勢の変化を論(ろん)じ、
為八十一首通善齊人安期生
八十一首(しゅ 詩歌を数える言葉)をつくった。斉人の安期生と仲良く行き来した。
安期生嘗干項羽項羽不能用其筴
安期生は項羽にあずかることを試(ため)したが、項羽はその謀(はかりごと)を用(もち)いることができなかった。
已而項羽欲封此兩人
しばらくして、項羽はこの二人(安期生、蒯通)を封じようと欲したが、
兩人終不肯受亡去
二人はとうとうさずかることをよしとせず、逃げて去(さ)った。
田之高節賓客慕義而從死
田横の身の振り方の気高さに、賓客は義(ぎ)を慕(した)いて田横の死に従(したが)った。
豈非至賢余因而列焉
なんと賢の極(きわ)みではないか。わたしは因(よ)りて(伝に)列(つら)ねたのである。
不無善畫者莫能圖何哉
善(よ)い画策(かくさく)者がいなかったのではないが、図(はか)ることができなかったのは、
なぜなのだろうかな」と。
今日で史記 田儋列伝は終わりです。明日からは史記 樊酈滕灌列伝に入ります。
既(すで)に葬(ほうむ)りおわり、二人の賓客はその墓塚の傍(かたわ)らに孔(あな)を穿(うが)ち、皆(みな)自ら首をかき斬って、これに従(したが)って下泉(かせん)した。
高帝聞之乃大驚大田之客皆賢
漢高帝劉邦はこれを聞き、すなわち、大田横の賓客は皆(みな)賢人だと大いに驚(おどろ)いた。
吾聞其餘尚五百人在海中使使召之
吾(われ)はその残りが尚(なお)五百人、海の中にいると聞く、と。使者をつかわしこれを召(め)し寄せさせた。
至則聞田死亦皆自殺
至ってすぐに田横の死を聞き、また皆(みな)自殺した。
於是乃知田兄弟能得士也
ここに於いて、すなわち、田横の兄弟は士(し)を得ることがりっぱにできていたのだと知ったのである。
太史公曰甚矣蒯通之謀
太史公曰く、「甚(はなは)だしいことだ、蒯通の謀(はか)りごとは。
亂齊驕淮陰其卒亡此兩人
斉を乱(みだ)し淮陰侯韓信を驕(おご)らせ、そのとうとうこの両人(韓信、田横)を亡(ほろ)ぼした。
蒯通者善為長短說論戰國之權變
蒯通という者は優劣(ゆうれつ)を為して説(と)くのにすぐれ、戦国の権勢の変化を論(ろん)じ、
為八十一首通善齊人安期生
八十一首(しゅ 詩歌を数える言葉)をつくった。斉人の安期生と仲良く行き来した。
安期生嘗干項羽項羽不能用其筴
安期生は項羽にあずかることを試(ため)したが、項羽はその謀(はかりごと)を用(もち)いることができなかった。
已而項羽欲封此兩人
しばらくして、項羽はこの二人(安期生、蒯通)を封じようと欲したが、
兩人終不肯受亡去
二人はとうとうさずかることをよしとせず、逃げて去(さ)った。
田之高節賓客慕義而從死
田横の身の振り方の気高さに、賓客は義(ぎ)を慕(した)いて田横の死に従(したが)った。
豈非至賢余因而列焉
なんと賢の極(きわ)みではないか。わたしは因(よ)りて(伝に)列(つら)ねたのである。
不無善畫者莫能圖何哉
善(よ)い画策(かくさく)者がいなかったのではないが、図(はか)ることができなかったのは、
なぜなのだろうかな」と。
今日で史記 田儋列伝は終わりです。明日からは史記 樊酈滕灌列伝に入ります。