乃引兵東北擊范陽范陽人蒯通說范陽令曰
そこで、兵を引いて東北に范陽を撃(う)とうとした。范陽人の蒯通が范陽令に説(と)いた、曰く、
竊聞公之將死故弔雖然賀公得通而生
「ひそかに聞くに公(こう)のまさに死なんとすると。故(ゆえ)にあわれみます。
然(しか)りと雖(いえど)も、公(こう)がわたしを得(え)て生きることができるのをよろこびます」と。
范陽令曰何以弔之對曰
范陽令曰く、「どうしてこれをあわれむを以ってするのか?」と。応(こた)えて曰く、
秦法重足下為范陽令十年矣殺人之父
「秦の法律は重(おも)く、足下は范陽令と為って十年、人の父を殺し、
孤人之子斷人之足黥人之首不可勝數
人の子を孤児にし、人の足を断(た)ち、人の頭に刺青(いれずみ)をするは、数えあげることができません。
然而慈父孝子莫敢倳刃公之腹中者畏秦法耳
然(しか)しながら、慈父、孝行な息子は敢(あ)えて刃(やいば)で公(こう)の腹(はら)の中を刺(さ)さなかったのは、秦の法律を畏(おそ)れただけです。
今天下大亂秦法不施
今、天下は大いに乱(みだ)れ、秦の法律は実施(じっし)されず、
然則慈父孝子且倳刃公之腹中以成其名
然(しか)らば、慈父、孝行息子はまさに刃(やいば)を公の腹の中に刺さんとし、その名を成すを以ってすることでしょう。
此臣之所以弔公也今諸侯畔秦矣
これが、わたしの公(こう)をあわれむ理由であります。今、諸侯が秦に叛(そむ)き、
武信君兵且至而君堅守范陽少年皆爭殺君
陳(張楚)武信君武臣の兵がまさに至らんとすれば、しこうして、君(范陽令)は范陽を堅(かた)く守(まも)り、少年は皆(みな)争って君(范陽令)を殺し、
下武信君君急遣臣見武信君
陳(張楚)武信君武臣に下(くだ)ることでしょう。君(范陽令)は急いでわたしを遣(つか)わし陳(張楚)武信君武臣に見(まみ)えさせてください。
可轉禍為福在今矣
禍(わざわい)を転(てん)じて福(ふく)と為すことができるのは、今に在(あ)るのです」と。
そこで、兵を引いて東北に范陽を撃(う)とうとした。范陽人の蒯通が范陽令に説(と)いた、曰く、
竊聞公之將死故弔雖然賀公得通而生
「ひそかに聞くに公(こう)のまさに死なんとすると。故(ゆえ)にあわれみます。
然(しか)りと雖(いえど)も、公(こう)がわたしを得(え)て生きることができるのをよろこびます」と。
范陽令曰何以弔之對曰
范陽令曰く、「どうしてこれをあわれむを以ってするのか?」と。応(こた)えて曰く、
秦法重足下為范陽令十年矣殺人之父
「秦の法律は重(おも)く、足下は范陽令と為って十年、人の父を殺し、
孤人之子斷人之足黥人之首不可勝數
人の子を孤児にし、人の足を断(た)ち、人の頭に刺青(いれずみ)をするは、数えあげることができません。
然而慈父孝子莫敢倳刃公之腹中者畏秦法耳
然(しか)しながら、慈父、孝行な息子は敢(あ)えて刃(やいば)で公(こう)の腹(はら)の中を刺(さ)さなかったのは、秦の法律を畏(おそ)れただけです。
今天下大亂秦法不施
今、天下は大いに乱(みだ)れ、秦の法律は実施(じっし)されず、
然則慈父孝子且倳刃公之腹中以成其名
然(しか)らば、慈父、孝行息子はまさに刃(やいば)を公の腹の中に刺さんとし、その名を成すを以ってすることでしょう。
此臣之所以弔公也今諸侯畔秦矣
これが、わたしの公(こう)をあわれむ理由であります。今、諸侯が秦に叛(そむ)き、
武信君兵且至而君堅守范陽少年皆爭殺君
陳(張楚)武信君武臣の兵がまさに至らんとすれば、しこうして、君(范陽令)は范陽を堅(かた)く守(まも)り、少年は皆(みな)争って君(范陽令)を殺し、
下武信君君急遣臣見武信君
陳(張楚)武信君武臣に下(くだ)ることでしょう。君(范陽令)は急いでわたしを遣(つか)わし陳(張楚)武信君武臣に見(まみ)えさせてください。
可轉禍為福在今矣
禍(わざわい)を転(てん)じて福(ふく)と為すことができるのは、今に在(あ)るのです」と。