噲以呂后女弟呂須為婦生子伉故其比諸將最親
漢相国舞陽侯樊噲は呂后(劉邦の正妻)の妹の呂須を以って嫁(よめ)と為し、子の樊伉を生み、故(ゆえ)にその諸侯に比べて最も親しかった。
先黥布反時高祖嘗病甚惡見人
先(さき)の黥布(淮南王英布)が叛(そむ)いた時、漢高祖劉邦)はいつも病(やまい)が甚(はなは)だしく、人に見(まみ)えることをいやがり、
臥禁中詔戶者無得入群臣
禁中(天子の居所)に横になって、戸番者に詔(みことのり)して群臣を入らせないようにした。
群臣絳灌等莫敢入
群臣の漢太尉絳侯周勃、漢車騎将軍潁陰侯灌嬰らは敢(あ)えて入ることはしなかった。
十餘日噲乃排闥直入大臣隨之
十余日して、漢相国舞陽侯樊噲はそこで闥(ねや)の戸をおしひろげ真っ直ぐに入り、大臣がこれに附きしたがった。
上獨枕一宦者臥噲等見上流涕曰
上(漢高祖劉邦)は独(ひと)り、一人の宦官を枕(まくら)にして横たわっていた。漢相国舞陽侯樊噲らが上(漢高祖劉邦)に見(まみ)え、涙を流して曰く、
始陛下與臣等起豐沛定天下何其壯也
「以前、陛下とわたしたちは沛の豐邑で立ち上がり、天下を定めたときは、なんとその気力盛んであったことか。
今天下已定又何憊也
今、天下がすでに定まり、またなんと弱ってしまわれたことか。
且陛下病甚大臣震恐不見臣等計事
まさに陛下は病(やまい)が甚(はなは)だしく、大臣たちは震(ふる)え恐れていますが、わたしたちに見(まみ)えず事(こと)を計(はか)り、
顧獨與一宦者絕乎
かえってただ一人の宦官(かんがん)とともに謝絶されるのですか?
且陛下獨不見趙高之事乎高帝笑而起
まさに陛下はただ趙高(秦皇帝の寵臣で宦官)の事をお考えにならないのですか?」と。漢高帝劉邦は笑って起き上がった。
漢相国舞陽侯樊噲は呂后(劉邦の正妻)の妹の呂須を以って嫁(よめ)と為し、子の樊伉を生み、故(ゆえ)にその諸侯に比べて最も親しかった。
先黥布反時高祖嘗病甚惡見人
先(さき)の黥布(淮南王英布)が叛(そむ)いた時、漢高祖劉邦)はいつも病(やまい)が甚(はなは)だしく、人に見(まみ)えることをいやがり、
臥禁中詔戶者無得入群臣
禁中(天子の居所)に横になって、戸番者に詔(みことのり)して群臣を入らせないようにした。
群臣絳灌等莫敢入
群臣の漢太尉絳侯周勃、漢車騎将軍潁陰侯灌嬰らは敢(あ)えて入ることはしなかった。
十餘日噲乃排闥直入大臣隨之
十余日して、漢相国舞陽侯樊噲はそこで闥(ねや)の戸をおしひろげ真っ直ぐに入り、大臣がこれに附きしたがった。
上獨枕一宦者臥噲等見上流涕曰
上(漢高祖劉邦)は独(ひと)り、一人の宦官を枕(まくら)にして横たわっていた。漢相国舞陽侯樊噲らが上(漢高祖劉邦)に見(まみ)え、涙を流して曰く、
始陛下與臣等起豐沛定天下何其壯也
「以前、陛下とわたしたちは沛の豐邑で立ち上がり、天下を定めたときは、なんとその気力盛んであったことか。
今天下已定又何憊也
今、天下がすでに定まり、またなんと弱ってしまわれたことか。
且陛下病甚大臣震恐不見臣等計事
まさに陛下は病(やまい)が甚(はなは)だしく、大臣たちは震(ふる)え恐れていますが、わたしたちに見(まみ)えず事(こと)を計(はか)り、
顧獨與一宦者絕乎
かえってただ一人の宦官(かんがん)とともに謝絶されるのですか?
且陛下獨不見趙高之事乎高帝笑而起
まさに陛下はただ趙高(秦皇帝の寵臣で宦官)の事をお考えにならないのですか?」と。漢高帝劉邦は笑って起き上がった。