凡薄山之首自甘棗之山至于鼓鐙之山
凡(およ)そ、薄山の首(依拠する)は甘棗の山より鼓鐙の山に至る、
凡十五山六千六百七十里
凡(およ)そ十五の山で、六千六百七十里(一里150m換算で約1000.5km)。
歷兒冢也其祠禮
歷兒山は冢(大きく高い墓)であり、その祠(まつり)の礼は、
毛太牢之具縣以吉玉
望(まつる 毛(モウ)=望(モウ)?)は大牢の具(最上等のごちそう)で、䄅(祭祀の名 県(ケン)=䄅(ケン)?)は吉玉を以ってする。
其餘十三山者毛用一羊
その余(のこり)の十三(十四?)の山は、望(まつる 毛(モウ)=望(モウ)?)は一つの璋(羊(ショウ)=璋(ショウ)?)を用い、
縣嬰用桑封瘞而不糈
䄅(祭祀の名 県(ケン)=䄅(ケン)?)、禜(なわ張りの中で行う天災をはらう祭り 嬰(エイ)=禜(エイ)?)は晶封(桑(ソウ)=晶(ショウ)?)、瑛(瘞(エイ)=瑛(エイ)?)を用いて、糈(神に供える白米(粟))はしない。
桑封者桑主也
晶封(桑(ソウ)=晶(ショウ)?)とは、晶(水晶(すいしょう)桑(ソウ)=晶(ショウ)?)の璋(祭りや儀式に用いる圭(玉器)の一種 主(シュ)=璋(ショウ)?)であり、
方其下而銳其上而中穿之加金
その下を四角にしてその上を鋭角にして、そして中(中心)はこれを穿(うが)ち、金(金属)を加(ほどこす)えたものである。
凡(およ)そ、薄山の首(依拠する)は甘棗の山より鼓鐙の山に至る、
凡十五山六千六百七十里
凡(およ)そ十五の山で、六千六百七十里(一里150m換算で約1000.5km)。
歷兒冢也其祠禮
歷兒山は冢(大きく高い墓)であり、その祠(まつり)の礼は、
毛太牢之具縣以吉玉
望(まつる 毛(モウ)=望(モウ)?)は大牢の具(最上等のごちそう)で、䄅(祭祀の名 県(ケン)=䄅(ケン)?)は吉玉を以ってする。
其餘十三山者毛用一羊
その余(のこり)の十三(十四?)の山は、望(まつる 毛(モウ)=望(モウ)?)は一つの璋(羊(ショウ)=璋(ショウ)?)を用い、
縣嬰用桑封瘞而不糈
䄅(祭祀の名 県(ケン)=䄅(ケン)?)、禜(なわ張りの中で行う天災をはらう祭り 嬰(エイ)=禜(エイ)?)は晶封(桑(ソウ)=晶(ショウ)?)、瑛(瘞(エイ)=瑛(エイ)?)を用いて、糈(神に供える白米(粟))はしない。
桑封者桑主也
晶封(桑(ソウ)=晶(ショウ)?)とは、晶(水晶(すいしょう)桑(ソウ)=晶(ショウ)?)の璋(祭りや儀式に用いる圭(玉器)の一種 主(シュ)=璋(ショウ)?)であり、
方其下而銳其上而中穿之加金
その下を四角にしてその上を鋭角にして、そして中(中心)はこれを穿(うが)ち、金(金属)を加(ほどこす)えたものである。