於是叔孫通使徵魯諸生三十餘人
ここに於いて漢博士稷嗣君叔孫通は魯の儒学者三十余人を取り立てさせた。
魯有兩生不肯行曰公所事者且十主
魯の二人の儒学者が有って(漢に)行くことをよしとせず、曰く、「公が仕(つか)えたところの者は、まさに十人の主(あるじ)で、
皆面諛以得親貴今天下初定死者未葬
皆(みな)おべっかをつかって、親(した)しみ貴(とうと)ばれるを得(え)るを以ってした。今、天下は定(さだ)まったばかりで、死者は未(ま)だ葬(ほうむ)られず、
傷者未起又欲起禮樂
負傷者は未(ま)だ起き上がれないうちに、また礼楽を起こそうと欲している。
禮樂所由起積百年而後可興也
礼楽の起(お)こる根拠(こんきょ)は、徳を百年積(つ)んで後(のち)興(おこ)すべきなのです。
吾不忍為公所為公所為不合古吾不行
吾(われ)われは公の行為(こうい)を思って忍(しの)ばれず。公の行為(こうい)は古(いにしえ)に合(あ)わないので、吾(われ)われは(漢に)行かない。
公往矣無汙我
公は往(ゆ)け、我(われ)われを汚(けが)すことなかれ」と。
叔孫通笑曰若真鄙儒也不知時變
漢博士稷嗣君叔孫通は笑って曰く、「なんじらは真(まこと)に田舎者の儒者であり、時の移り変わりを知らない」と。
遂與所徵三十人西及上左右為學者與其弟子百餘人為綿蕞野外
遂(つい)に取り立てたところに三十人とともに西へ進み、上(漢高帝劉邦)の左右の学問をした者とその弟子百余人に及(およ)んで、野外で綿密(めんみつ)につくった。
習之月餘叔孫通曰上可試觀
これを習(なら)うこと一ヶ月余り、漢博士稷嗣君叔孫通曰く、「上(漢高帝劉邦)は試(ため)しに眺(なが)めることができます」と。
上既觀使行禮曰吾能為此
上(漢高帝劉邦)はすでに礼を行わせしめるを観(み)て、曰く、「吾(われ)はこれをすることができる」と。
乃令群臣習肄會十月
そこで、群臣に習わせ、ちょうどこの時十月。
漢七年長樂宮成諸侯群臣皆朝十月
漢七年、長楽宮ができあがり、諸侯、群臣は皆(みな)、十月に朝した。
儀先平明謁者治禮引以次入殿門
儀式は明け方に先(さき)んじて、謁者(官名)が礼を治(おさ)めて、みちびくに順序を以って殿門に入れ、
廷中陳車騎步卒衛宮設兵張旗志
宮廷の中には兵車、騎兵、歩兵を並べて宮殿を護衛(ごえい)させ、武器をならべ、のぼり旗を張(は)った。
傳言趨殿下郎中俠陛陛數百人
言を伝(つた)えて、すみやかにせよ、と。宮殿の下(もと)では、郎中(官名)がきざはし(宮殿の階段)をはさみ、きざはしには数百人。
功臣列侯諸將軍軍吏以次陳西方東鄉
功臣、列侯、諸(もろもろ)の将軍、軍吏は順次を以って西方に東向きに並べた。
文官丞相以下陳東方西鄉
文官、丞相以下は東方に西向きに並べた。
ここに於いて漢博士稷嗣君叔孫通は魯の儒学者三十余人を取り立てさせた。
魯有兩生不肯行曰公所事者且十主
魯の二人の儒学者が有って(漢に)行くことをよしとせず、曰く、「公が仕(つか)えたところの者は、まさに十人の主(あるじ)で、
皆面諛以得親貴今天下初定死者未葬
皆(みな)おべっかをつかって、親(した)しみ貴(とうと)ばれるを得(え)るを以ってした。今、天下は定(さだ)まったばかりで、死者は未(ま)だ葬(ほうむ)られず、
傷者未起又欲起禮樂
負傷者は未(ま)だ起き上がれないうちに、また礼楽を起こそうと欲している。
禮樂所由起積百年而後可興也
礼楽の起(お)こる根拠(こんきょ)は、徳を百年積(つ)んで後(のち)興(おこ)すべきなのです。
吾不忍為公所為公所為不合古吾不行
吾(われ)われは公の行為(こうい)を思って忍(しの)ばれず。公の行為(こうい)は古(いにしえ)に合(あ)わないので、吾(われ)われは(漢に)行かない。
公往矣無汙我
公は往(ゆ)け、我(われ)われを汚(けが)すことなかれ」と。
叔孫通笑曰若真鄙儒也不知時變
漢博士稷嗣君叔孫通は笑って曰く、「なんじらは真(まこと)に田舎者の儒者であり、時の移り変わりを知らない」と。
遂與所徵三十人西及上左右為學者與其弟子百餘人為綿蕞野外
遂(つい)に取り立てたところに三十人とともに西へ進み、上(漢高帝劉邦)の左右の学問をした者とその弟子百余人に及(およ)んで、野外で綿密(めんみつ)につくった。
習之月餘叔孫通曰上可試觀
これを習(なら)うこと一ヶ月余り、漢博士稷嗣君叔孫通曰く、「上(漢高帝劉邦)は試(ため)しに眺(なが)めることができます」と。
上既觀使行禮曰吾能為此
上(漢高帝劉邦)はすでに礼を行わせしめるを観(み)て、曰く、「吾(われ)はこれをすることができる」と。
乃令群臣習肄會十月
そこで、群臣に習わせ、ちょうどこの時十月。
漢七年長樂宮成諸侯群臣皆朝十月
漢七年、長楽宮ができあがり、諸侯、群臣は皆(みな)、十月に朝した。
儀先平明謁者治禮引以次入殿門
儀式は明け方に先(さき)んじて、謁者(官名)が礼を治(おさ)めて、みちびくに順序を以って殿門に入れ、
廷中陳車騎步卒衛宮設兵張旗志
宮廷の中には兵車、騎兵、歩兵を並べて宮殿を護衛(ごえい)させ、武器をならべ、のぼり旗を張(は)った。
傳言趨殿下郎中俠陛陛數百人
言を伝(つた)えて、すみやかにせよ、と。宮殿の下(もと)では、郎中(官名)がきざはし(宮殿の階段)をはさみ、きざはしには数百人。
功臣列侯諸將軍軍吏以次陳西方東鄉
功臣、列侯、諸(もろもろ)の将軍、軍吏は順次を以って西方に東向きに並べた。
文官丞相以下陳東方西鄉
文官、丞相以下は東方に西向きに並べた。