漢九年高帝徙叔孫通為太子太傅
漢九年、漢高帝劉邦は漢太常稷嗣君叔孫通を移(うつ)して漢太子(劉盈)の太傅と為した。
漢十二年高祖欲以趙王如意易太子叔孫通諫上曰
漢十二年、漢高祖劉邦は趙王劉如意を以って太子にかえようと欲し、漢太子太傅稷嗣君叔孫通は上(漢高祖劉邦)を諌(いさ)めて曰く、
昔者晉獻公以驪姬之故廢太子
「むかし、晋献公(姫詭諸)が驪姬の故(ゆえ)を以って晋太子(姫申生)を廃(はい)し、
立奚齊晉國亂者數十年為天下笑
姫奚齊を立て、晋国の乱(みだ)れるは数十年、天下の笑いものと為りました。
秦以不蚤定扶蘇令趙高得以詐立胡亥
秦は嬴扶蘇をはやく定(さだ)めずを以ってして、秦中車府令趙高に偽(いつわ)って嬴胡亥を立てるを以って得(え)さしめ
自使滅祀此陛下所親見
自(みずか)ら祭祀(さいし)を滅ぼさしめ、これは陛下がみずから見たところです。
今太子仁孝天下皆聞之
今、漢太子(劉盈)は仁孝で、天下は皆(みな)これを聞いています、
呂后與陛下攻苦食啖其可背哉
漢呂后(呂雉)は陛下とともにひどい苦労をし、そのそむくべきでしょうかな。
陛下必欲廢適而立少臣願先伏誅以頸血汙地
陛下は必ず適子(あとつぎの息子)を廃(はい)して年少者を(太子に)立てると欲すれば、わたしは先(さき)んじて誅(ちゅう)に伏(ふ)すことを願い、頸(くび)の血を以って地をけがすことでしょう」と。
高帝曰公罷矣吾直戲耳
漢高帝劉邦曰く、「公はやめよ。吾(われ)はただ戯(たわむ)れただけだ」と。
漢九年、漢高帝劉邦は漢太常稷嗣君叔孫通を移(うつ)して漢太子(劉盈)の太傅と為した。
漢十二年高祖欲以趙王如意易太子叔孫通諫上曰
漢十二年、漢高祖劉邦は趙王劉如意を以って太子にかえようと欲し、漢太子太傅稷嗣君叔孫通は上(漢高祖劉邦)を諌(いさ)めて曰く、
昔者晉獻公以驪姬之故廢太子
「むかし、晋献公(姫詭諸)が驪姬の故(ゆえ)を以って晋太子(姫申生)を廃(はい)し、
立奚齊晉國亂者數十年為天下笑
姫奚齊を立て、晋国の乱(みだ)れるは数十年、天下の笑いものと為りました。
秦以不蚤定扶蘇令趙高得以詐立胡亥
秦は嬴扶蘇をはやく定(さだ)めずを以ってして、秦中車府令趙高に偽(いつわ)って嬴胡亥を立てるを以って得(え)さしめ
自使滅祀此陛下所親見
自(みずか)ら祭祀(さいし)を滅ぼさしめ、これは陛下がみずから見たところです。
今太子仁孝天下皆聞之
今、漢太子(劉盈)は仁孝で、天下は皆(みな)これを聞いています、
呂后與陛下攻苦食啖其可背哉
漢呂后(呂雉)は陛下とともにひどい苦労をし、そのそむくべきでしょうかな。
陛下必欲廢適而立少臣願先伏誅以頸血汙地
陛下は必ず適子(あとつぎの息子)を廃(はい)して年少者を(太子に)立てると欲すれば、わたしは先(さき)んじて誅(ちゅう)に伏(ふ)すことを願い、頸(くび)の血を以って地をけがすことでしょう」と。
高帝曰公罷矣吾直戲耳
漢高帝劉邦曰く、「公はやめよ。吾(われ)はただ戯(たわむ)れただけだ」と。