叔孫通曰太子天下本
漢太子太傅稷嗣君叔孫通曰く、「太子は天下の本(もと)で、
本一搖天下振動柰何以天下為戲
本(もと)が一度揺(ゆ)れれば天下は振動(しんどう)し、どうして天下を以って戯(たわむ)れを為すのですか」と。
高帝曰吾聽公言
漢高帝劉邦曰く、「吾(われ)は公の言(げん)を聴(き)きいれよう」と。
及上置酒見留侯所招客從太子入見
上(漢高帝劉邦)が酒宴を置くに及(およ)んで、留侯張良が招(まね)いたところの太子に従(したが)って入見した客に見(まみ)え、
上乃遂無易太子志矣
上(漢高帝劉邦)はそこで遂(つい)に太子をかえる志(こころざし)を無くした。
高帝崩孝惠即位乃謂叔孫生曰
漢高帝劉邦が崩(ほう)じ、漢孝恵帝劉盈が即位(そくい)し、そこで叔孫先生(漢太子太傅稷嗣君叔孫通)に曰く、
先帝園陵寢廟群臣莫(能)習
「先帝の園陵(えんりょう)の寢廟(おたまや)は、群臣は(儀式の作法を)習わなかった」と。
徙為太常定宗廟儀法
移(うつ)して漢太常と為し、宗廟(そうびょう)の儀法(ぎほう)を定(さだ)めさせた。
及稍定漢諸儀法皆叔孫生為太常所論箸也
次第(しだい)に漢の諸(もろもろ)の儀法(ぎほう)を定(さだ)めていくに及んで、皆(みな)叔孫先生(漢太子太傅稷嗣君叔孫通)が漢太常と為って論(ろん)じたところはあきらかになったのである。
漢太子太傅稷嗣君叔孫通曰く、「太子は天下の本(もと)で、
本一搖天下振動柰何以天下為戲
本(もと)が一度揺(ゆ)れれば天下は振動(しんどう)し、どうして天下を以って戯(たわむ)れを為すのですか」と。
高帝曰吾聽公言
漢高帝劉邦曰く、「吾(われ)は公の言(げん)を聴(き)きいれよう」と。
及上置酒見留侯所招客從太子入見
上(漢高帝劉邦)が酒宴を置くに及(およ)んで、留侯張良が招(まね)いたところの太子に従(したが)って入見した客に見(まみ)え、
上乃遂無易太子志矣
上(漢高帝劉邦)はそこで遂(つい)に太子をかえる志(こころざし)を無くした。
高帝崩孝惠即位乃謂叔孫生曰
漢高帝劉邦が崩(ほう)じ、漢孝恵帝劉盈が即位(そくい)し、そこで叔孫先生(漢太子太傅稷嗣君叔孫通)に曰く、
先帝園陵寢廟群臣莫(能)習
「先帝の園陵(えんりょう)の寢廟(おたまや)は、群臣は(儀式の作法を)習わなかった」と。
徙為太常定宗廟儀法
移(うつ)して漢太常と為し、宗廟(そうびょう)の儀法(ぎほう)を定(さだ)めさせた。
及稍定漢諸儀法皆叔孫生為太常所論箸也
次第(しだい)に漢の諸(もろもろ)の儀法(ぎほう)を定(さだ)めていくに及んで、皆(みな)叔孫先生(漢太子太傅稷嗣君叔孫通)が漢太常と為って論(ろん)じたところはあきらかになったのである。